医療者が生活について聞くと「医療寄りの話」になる

内省・関わり
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臨床の中で、ありのままの生活状況を聞いたときに、

「家では壁をつたって歩いています」
「階段は上がらないようにしています」
「息子が色々と手伝ってくれます」

このように、まるで私たち医療者に取って必要な情報だけを話してくださっていると感じたことはありませんか?

おそらく、医療職が聞かなければ、もっとバラエティに富んだ語りがあるのではないかと想像できます。



たとえば、こんな語りです。

「朝6時に起きて、まずは朝食を作るんよ。その時に、ふらついたらいけないから、壁をつたってキッチンまで歩いてね。怖いけど、その間に段差がないので、転けたことはないかな。
一番困るのは、2階に必要なものがあるとき。取りに行きたいけど、手すりもなくて結構急なので、息子が来た時に取ってもらうようにしてるんよ。
近所には、友達がたくさんいて、毎日誰かは遊びに来てくれるから、それが楽しみの一つかな。」

親族や友人との会話では、このように感情や背景が散りばめられた語りになります。

これは、医療者の力量不足ではなく、医療者という立場や役割が生み出す構造的な傾向と捉えるほうが適切だと思います。

医療者は無意識に医療の言語へ翻訳してしまう

医療者は無意識のうちに、
・生活上の問題になるか
・介入できるか
という臨床判断に資する情報として話を聞いています。

そのため、生活の語りであっても、
・転倒リスクは?
・キーパーソンは?
といった医療の言語へ、自然と翻訳してしまいます。

患者側も「医療モード」に適応している

患者さんは医療の現場に入った瞬間から、
・評価される存在
・判断される存在
になります。

そのため本来は、
・何が大事だったか。
・どんな時に困るのか
・どんな日常が好きだったか
といった語りがあっても、
医療者向けに最適化された語りに自ら変換してしまいます。

医療の語りを生活の語りに近づけるには

治療・ケア・リハビリ中に生活について聞いても、なかなか本来の生活の語りは聞けないように感じます。

私が、意識していることは、空いた時間に患者さんのところに様子を見に行くことです。

その時に患者さんに話を聞くと、治療に対して緊張感もほぐれているので、やや生活の語りを話してくれる印象があります。

病院のユニフォームを着ている時点で、
「医療者に聞かれている」という患者さんの感情を完全に取り払うことはできません。

それでも、
少しでも患者さんが生活者としての自分でいられる雰囲気を作ること。
それが、私たち医療者にできる大切な姿勢なのかもしれません。

T.A.

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