文化・医療人類学

文化・医療人類学

セルフヘルプ・グループに、医療者はどこまで関わるべきか——患者会に参加して考えたこと

医療スタッフとして患者会に参加すると、語り合いの文脈が「医療」に偏っていく——その経験から、セルフヘルプ・グループと専門家の距離について考えます。関わることだけが支援ではないのかもしれません。
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病いは、個人のものではない——共同体で病気に向き合うという視点

多くの社会では、病気は個人ではなく、家族・親族・地域社会の問題として扱われてきた——浮ヶ谷幸代『病気だけど病気ではない』の記述を手がかりに、一対一の閉じた治療関係を少し外から眺めてみます。
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カンファレンスで意見がまとまらないのはなぜか——職業文化が構築する、それぞれの「患者」

医学は患者を「疾患の場」として、看護学は「ニーズのパッチワーク」として構築する——同じ人間を見ているようで、見ている対象は違う。職業文化の視点から、セラピストの立ち位置と多職種カンファレンスでのすれ違いを考えます。
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受療行動(illness behavior)——人はなぜ、いつ、どこで助けを求めるのか

心身の不調を感じたとき、人がとる行動は「症状の重さ」だけでは決まりません。医療人類学の「受療行動(illness behavior)」という概念から、患者さんが受診に至るまでの複雑なプロセスを4つの要素とクラインマンの3セクターとともに整理します。
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「わかっているけど、できない」——食事療法と、食べることの意味

「わかってはいるんですけど、なかなか……」——糖尿病の食事療法をめぐる患者さんのこの言葉は、怠慢ではないかもしれません。バフチーンの「世界との出会い」としての食と、浮ヶ谷幸代のセルフ・コントロール批判から、食事療法の社会的・文化的な複雑さを考えます。
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「この足がねー」——脱身体化という視点からリハビリを考える

「この足がねー」「人の手みたい」——リハビリの場面で患者さんが自分の身体を三人称で語るとき、何が起きているのでしょうか。マーフィーの「脱身体化」という概念を手がかりに考えます。
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補完代替医療を選ぶとき——医療人類学から考える

リハビリ外来患者の約6割が民間療法を利用しているというデータをもとに、なぜ人は補完代替医療を選ぶのかを医療人類学の視点から考察する。
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アーサー・クラインマンが伝えてくること——患者の経験を中心に置くということ

「家に帰れない。自分の役割を果たせない」新人のころ、患者さんからそんな言葉を聞いたとき、どう応えればいいのかわかりませんでした。膝の痛みは改善している。歩行距離も伸びている。でも患者さんの苦しみは、そこにはありませんでした。「治療はうまくい...
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医療における文化人類学という学問

「文化人類学を知っていますか?」医療者のみなさんは、そう聞かれてなんと答えますか?殆どの方はご存じないかもしれません。実際、中本氏は、医療者教育の文脈において「文化人類学自体の受講生における認知度が非常に低い」と述べ、看護学校における初回講...
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医療専門家のあるべき姿とは?ー社会が求める理想像

医療専門家は質実剛健かつ強固な精神の持ち主であることが社会から期待されているため、自身が抱えているはずの病苦や人生苦を告白することはない。それは、告白によって、医療専門家として失格であるとの烙印を押されてしまうことを恐れているからである。H...