ナラティブ・語り

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「なんでかはわからないが、よくなったのは確か」——疾患と病い、二つの「治る」

医師であり患者でもある人の言葉から、「治る」には医療者の文脈と生活者の文脈という二つの世界があることを考えます。クラインマンの疾患(disease)と病い(illness)の区別をもとに。
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医療者どうしでナラティブを語り合うこと——省察的実践という視点から

臨床のもやもやは「解決すべき問題」なのか——ショーンの省察的実践という概念から、医療者どうしで語り合うことの意味を考えます。
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「待っているに違いない」——ペットが入院患者さんに持つ意味を考える

入院リハビリ中、いつも「早く会いたい」と語る患者さんがいました。ベッドサイドの写真、語られるエピソード、そして「待っているに違いない」という言葉。ペットは単なる癒しではなく、入院という断絶の中で「日常の自分」をつなぐ存在なのかもしれません。
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「昨日より、良くなっていますよ」——看護師の言葉が届いたとき

親族の入院中、看護師さんから「昨日と比べて、良くなっていますよ」と声をかけてもらった。医療者としてまだ油断できない状況だとわかっていても、その言葉で安心した。「現在地」ではなく「方向性」の語りが、なぜ安心をもたらすのか——フランクの回復の物語(restitution narrative)から考えます。
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文学を処方する——リタ・シャロンが指摘する”薄い理解”の危うさ

内科医であり文学研究者でもあるリタ・シャロンは、安易な患者理解を「薄い(thin)理解」と呼びます。文学的読解の訓練が臨床の「厚い理解」につながるというナラティブ・メディスンの核心を、トルストイの作品とともに考えます。
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「病院がホームで、自宅がアウェイ」──患者さんの語りが変わる場所と相手

患者さんは相手や場所によって語りを変えます。医療者の前では医学的な言葉に、家族の前では生活の言葉に。Goffmanの「表舞台と裏舞台」という概念から、その変化の意味と、病院という場所の非対称性を考えます。
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知識・技術と対話を携えたセラピストになりたい

先日、恩師のご縁でつながっている先生方と、ゆっくり話す時間がありました。臨床を経験して現在は教育者として働かれている方々でしたが、「どんなセラピストをめざしているか」というテーマが、対話のどこかに流れていました。その場では言葉にしきれなかっ...
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患者さんが指示を守れないとき——二つの文脈のすれ違い

「痛みがないってことは、ついても問題ないということではないの?」松葉杖での歩行中、患肢への部分荷重を避けるよう指導していた患者さんが、こう言いました。ごく自然な口調で、でも私にはうまく答えられなかった質問でした。コルセットを強く嫌がる患者さ...
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患者の希望と現実のズレー患者の語りを聞き目標設定するには

患者さんの『歩きたい』という願いと、医学的現実のズレ。そのズレそのものを『障害受容できていない』と見なすのではなく、『患者さんは何がつらいと感じているのか』に真摯に向き合うことが、セラピストに求められています。
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EBMとNBMの違い──対立ではなく補完関係

何が有効かを考えるためにEBMがあり、その有効性を患者さんのLIFEの中でどう位置づけるかを考えるためにNBMがある。そう捉えると、両者は対立ではなく補完関係にあります。