以前、病いと疾患について記載しました。
今回はそれに紐づけて話を広げてみたいと思います。
まず、病気を患者から見たものが「病い」であり、医療者から見たものが「疾患」であると説明しました。
(余談ですが、医療人類学では「病」ではなく「病い」というように「い」を記載するのが一般的です。おそらく「病」と書くと「びょう」とも読むことができるため、「病い」として「やまい」と読むことを促しているのかと思います)
上記のように、ある事象を異なる視点(特に当事者と第三者の視点)から見たときに見え方が変わるということは、病気に限ったことではありません。
リハビリテーションであれば、その最たるものは身体です。
現象学の言葉を借りるなら、
当事者から見た身体は、
ドイツ語でLeib、日本語では「生きられる身体」、英語ではlived bodyと表現します。
これは当事者が感じる主観的な身体を指します。この身体においては、筋肉も関節も存在しませんが、誰もが身体を(赤ちゃんでも)知っていて、経験しているのです。
他方で、
理学療法士・作業療法士が学校教育で徹底的に学ぶ身体は、
Körper、「物としての身体」 physical bodyと呼びます。
運動学で規定され、筋肉や骨格、関節もこのKörperに包括されます。
患者はLeibを生きていて、医療者はKörperを見ているわけです。
「病いと疾患」でも述べましたが、
両者は同じようでいて、実は違うものが見えているため、時にすれ違ったり、かみ合わなかったりすることがあります。大事なことは、各々が異なることを見ている、あるいは異なる眼鏡をかけて見ているという自覚なのかもしれません。
さらには、「遺体」と「死体」という表現にも上記の見え方の違いが表れています。
前者は単なる亡くなった人の身体にとどまらない、生きていた誰かという人称性が付与されていて、そこに弔うという行為が接続しています。
それに対して後者は無機質な人体を指します。
ちなみに、
医師養成課程における解剖学実習を分析した星野によると、
医学教育では「ご遺体」という表現を使い、モノとヒトの間、または日常と解剖実習の間を揺れ動く様を表していると述べています。
ただし、星野は解剖にかかわる言葉として「からだ」「人体」「ライヘ」「ご遺体」など多様な表現に言及しています。
医療者からすると難しいように感じるかもしれませんが、「病い-疾患」、「遺体-死体」など
実は私たちは知らず知らずのうちにそれらの概念を使用しており、しかも無意識に使い分けているのではないでしょうか?
【参考文献】
- 星野晋. “「ご遺体」 は最初の患者である: 日本の医学教育における肉眼解剖実習の今日的意義 (< 特集> 界面に立つ専門家-医療専門家のサファリングの人類学).” 文化人類学 77.3 (2013): 435-455.

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