答えを出さない医療のプロフェッショナル

ナラティブ・語り
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このブログは、できるだけ答えを出さないようにしています。

言い方を変えれば、答えを出すことができ難いテーマを取り扱っています。

医療の現場では、
私たちは常に判断や答えを求められます。

評価はどうか。
統合と解釈はできているか。
治療の効果は出ているか。


数値やカットオフ値、エビデンスに基づいて判断し、
限られた時間の中で成果や結論を出していく。
それは、医療者として当然の役割でもあります。

もちろん、PDCAサイクル(Plan、Do、Check、Actionの4つの段階を繰り返し考えることにより、物事を継続的に改善させようとする管理方法)を回し続けるため、臨床でも明確な答えがあるわけではありません。

一方で、臨床では最適解を見つけることが重要視され、
学会や論文等でも議論され続けます。


けれど、実際に働いていると、
どうしても割り切れない場面に出会います。

しかも、結構頻繁に。

検査データは改善しているのに、
患者さんはどこか納得していないように見えるとき。

医学的には妥当な説明をしたはずなのに、
関係性がうまく噛み合わないとき。

チームで協議して、正しい判断をしているはずなのに、
違和感が残るとき。
あるいは、チーム内で違和感を感じるとき。

臨床において答えを出す必要があることに関して、
答えを出さない。
もしくは、答えを出したことを振り返って、
考えてみる。

ナラティブ研究会を通じて、人類学者の方々と議論をしていると、
新たな気づきが生まれてきます。


その気づきは、医療者になったが故に薄れてしまった気づきのようにも感じます。

そして、その気づきは専門家と生活者の界面(interface)に立つことでもあります。

専門家としての知識と責任
自らも生活者であることの意義
人を理解する幅広い視点と経験


生活者としての語り
個人・家族の来歴
人生観


この両者には界面がいくつも存在します。

プロフェッショナルとは何か?ということに悩むかもしれません。

私が言いたいことは、「もやもや」をもやもやしたまま考え続ける勇気を持つ、ということである。(中略)誰だって、もやもやしていることはむしろすっきりさせたい。どこかゆるぎない軸足を置いて行動するほうが、明らかに楽だし効果的である。しかし、医療は患者あってのサービスであるとともに、公益を目指すサービスである。イチローは、今でも少しずつフォームを修正し続けている。(中略)ある意味、迷い続けることがプロフェッショナルの条件なのかもしれない。

(尾藤誠司,2009)

現在では、イチローではなく大谷翔平選手や山本由伸選手に置き換えられるかもしれません。

答えが出なくても、患者さんのため、そして私たち医療者のために、
考え続けていくことが、大切なのだと思います。

時には、ナラティブに悩み、
また時には、ナラティブに助けられながら、
毎日臨床に取り組むことができています。

【参考文献】

尾藤誠司:白衣のポケットの中ー医師のプロフェッショナリズムを考える.宮崎仁,尾藤誠司,大生定義編:医学書院,東京,2009.

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