臨床で働いていると、
例えば、脳梗塞の方をリハビリテーションすることになったとき、
- 中大脳動脈か内頸動脈なのかといった、脳梗塞の起こった部位
- アテローム性か心原性かといった、脳梗塞の種類
- 運動・感覚麻痺の重症度
- 高次脳機能障害の有無
など、医学的な視点から評価や情報を収集することになります。
そこには、脳梗塞のAさんという見方が起きます。
一方で、生活者の視点は異なります。
そこには、脳梗塞になったAさんだけではなく、
Aさんが脳梗塞になったというAさんの生活の背景が浮かび上がってきます。
サファリングは、疾患や症状そのものではない
サファリング(suffering)とは、「人がつらい・苦しいと感じていること」で、
「個人が価値あるもの(身体、自己、家族、役割、将来)を失う、あるいはそれらを失うと感じることによって生じる苦悩である。」と定義されています。
サファリングは、疾患や症状そのものではなく、
その人の人生や関係性に与える意味に焦点を当てています。
このサファリングは、脳梗塞になったAさん、というよりも、
Aさんにとって脳梗塞になるということは、どういう苦悩を伴うかに影響を受けます。
医療者と生活者の視点のズレ
つまり、
同じ「脳梗塞」であっても、
サファリングは一様ではありません。
再び歩けるかどうかではなく、
誰として、どのような生活を失う(かもしれない)のか。
その違いによって、Aさんの苦悩の輪郭は大きく変わります。
臨床ではしばしば、
「脳梗塞のAさん」は見えても、
「Aさんにとっての脳梗塞」が、後景に退いてしまいます。
このズレこそが、
医療者の視点と生活者の視点が交差する場所なのだと思います。
あらゆる文脈から、生活の再編成を考える
Aさんにとって、脳梗塞になるということはどういうことか。
Aさんにとって、脳梗塞になって歩行でT字杖が必要になるということはどういうことか。
Aさんにとって、脳梗塞になって仕事を休むということはどういうことか。
あるいは、
Aさんの家族にとっては、どうだろうか。
このようにあらゆる文脈から生活の再編成を考えてみる。
それは、想像だけでは困難です。
Aさん本人や家族や周囲の方々との対話、他職種の方々とのカンファレンス
多方面からのアプローチが必要になってきます。
医療専門職が協力し合い、
サファリングを理解すること。
それが生活の再編成を支えるための、最初の一歩なのだと思います。
まとめ
臨床では、どうしても「脳梗塞のAさん」という視点から関わることになります。
それは医療を進めるうえで、欠かすことのできない視点です。
しかし同時に、
Aさんにとって脳梗塞になるとは、どのようなことなのか
ということを考えることができないと
Aさんのサファリングは見えにくくなってしまいます。
疾患や症状を評価することと、
その人のLIFE(生命・生活・人生)に起きている変化を理解しようとすること。
この広い視点が、
医療専門職に求められているのだと思います。
生活の再編成のために、
本人や家族、そして多職種との対話を通して、
患者さんを理解していくことが大切です。
サファリングを理解しようとすること。
それは、治療やリハビリテーションと同様な重要度をもつ、
Aさんの生活を支える最初の一歩なのかもしれません。



コメント