出会いによって形成される新たな思考

ナラティブ・語り
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本稿は、ナラティブ研究会での検討資料となったエッセイです。記載内容は個人情報保護の観点から、背景・状況・属性等を一部改変しています。

幼少期からあった“自分のものさし”

私は幼少期からあまり手のかからない子どもだったらしい。両親が言うには、自分なりの“ものさし”のようなものを持っていて、親が声をかけなくても、自分で判断して、やると決めたことは放っておいてもやっていたようだ。学校の宿題など自分の中でやらないと決めたものはやらなかったらしいが、両親が声をかけてもやらないものはやらない。どうやら自分の中でやらなくても進級できる科目、やらないと進級できない科目の判断をしていたようだ。そんな様子で、中学時代、高校時代とテストの点数は良いものの、提出物や授業態度で減点され、成績は中の中であった。人並みの成績を取っているから両親は何も言わなかった。

応援される人間になりなさい

そんな私が高校時代、部活でサッカーしていたのだが、部活の顧問の先生はサッカーだけでなく、人としての立ち振る舞いを教えてくれた。私の中ではまぎれもなく恩師といえる先生だった。先生は常々「応援される人間になりなさい。」と言っていた。スポーツにおいて応援が、チームの持っている力以上のものを引き出せることは、スポーツ観戦をした経験からも感じていた。「応援されるためには、サッカーだけやっていてはだめだ。部活にかかる費用などは親御さんが払ってくれるのだから、家に帰ったらまず親御さんに感謝の気持ちを伝えなさい。普段から部活を終えて家に帰ったら、家事の1つでもいいから手伝いなさい。試合には積極的に見に来てもらいなさい。そういう姿勢をみせることで、親御さんは応援してあげたいと思うから。」と言っていた。顧問の先生の言っていることは分かったが、思春期の私にとって両親に感謝の気持ちを伝えることは照れくさく、行動には起こさなかった。

ある試合の日、自分たちの試合を終えて、次の試合を観戦していた。すると急に顧問の先生から集合がかかり、話が始まった。「誰からも応援される人間になりなさい。」そう言うと先生はまさに今試合をしている強豪校の荷物置き場を指差した。背番号順にバッグがビシッと並べられ、靴もすべて同じ向きにそろえて並べてある。「これをみて、自分たちの荷物置き場を見てみなさい。」私たちの荷物置き場は試合を終えてユニフォームやスパイクなどが散乱し、ぐちゃぐちゃであった。「通りすがりの人が見て、どっちのチームを応援したいと思う?強豪校と私たちの差はサッカーの上手下手だけではないよね。私たちはあの強豪校に勝つために努力しているからたくさんの人に応援してほしいって言うけど、応援したいと思う?カバンの中に荷物を詰め込むことなんて、できるかできないかではなくて、やるかやらないかでしょ?」その言葉に私はハッとした。確かに私たちは強豪校の生徒と比べて、サッカーの上手さは劣っているかもしれないが、バックに荷物を詰め込む能力がないわけではない。できるけど、ただやっていなかっただけだと思った。そこで“できるかできないかではなくて、やるかやらないか”という言葉が腑に落ちた。

それからというもの、“できるかできないかではなくて、やるかやらないか”を念頭に置いて物事を進めていくことで、自分のやるべき行動に関してすごくシンプルに感じるようになった。それまで行動に起こせなかった両親に感謝の気持ちを伝えることも、応援してもらうためにやるのかやらないのかと考えた。そうすると答えは“やる”一択であり、すんなりと行動に移すことができるようになった。そうやって行動を起こすことを繰り返していると、結果的にネガティブな感情に向き合わなくて良いため、気持ちも楽であった。

できるかではなく、やるかやらないか

そうして、専門学校もやるかやらないか理論で乗り切り、スポーツクリニックに就職した。スポーツクリニックでは、膨大な仕事量と課題に追われる毎日だったが、やるかやらないか理論で突き進んだ結果、もともと体力のあった私は数日徹夜が続こうともへっちゃらだった。しんどいといったネガティブな感情は一切抱かず、むしろやるべきことが一つ一つ終わることに清々しさを覚えていた。ある日、専門学校の同級生と食事に行った。卒業後から今までのお互いの近況を報告し合った。私の仕事量と課題の量に友人は驚いていて、「私だったらそんなしんどいの無理だわ~。」と言われたが、私は『なんで無理なんだろう?みんな 1 日は同じ 24 時間あるわけだし、やるかやらないかっていうだけでしょ。』と思っていた。後からその友人に聞いた話だが、友人からみると私は相当ポジティブに見えていたらしい。みんなが嫌がりそうな仕事を頼んでも、「おっけー」と快諾する。そして、「頼まれたけど嫌じゃなかったん?」と聞かれても「え?ただやればいいだけでしょ?嫌とかなくない?」と答える。

今思えば、タスクをこなすことばかり目が向き、自分の気持ちや考えなどに目が向けられなくなっていたと思う。「今あなたのやりたいことは何?」と聞かれても、やるべきことは山ほど出てくるが、やりたいことに関しては1つも思いつかなかった。同時に他人の気持ちや状況に気を配ることもできなくなっていた。ある日担当していた患者さんが「自主トレーニングのやり方習ったけど、忙しくてできなかった」と言ってきたことに対して、態度にこそ出さなかったが、全く理解ができなかった。「忙しいからできない?1日数分程度の時間なんて作ろうと思えば作れたでしょ。」と内心思うこともあった。また、身体機能は順調に改善し、動作もスムーズに行えるようになった患者さんでも、主観的な感じ方は変わっていないケースもあった。反対に、身体機能はほとんど改善がみられていない状態でも、楽になったと言われる患者さんもいて、タスクをこなすことで結果がついてくると思っていた私は訳が分からなくなった。きっと“精神的な何か”がそうさせているんだろうと思うしかなかった。

自分のものさしが通用しない場所

そうして私は、”精神的な何か”を探すため、精神科医療を担う病院へと転職した。まず一番驚いたのは、職員の発言だった。「忙しいからできない」、「調子が悪いからできない」などの発言がそこら中から聞こえてくる。全く理解できなかった。「忙しい?調子が悪い?そんなのどうでもいい。仕事でしょ。やるの?やらないの?」と私の頭に疑問が浮かぶ毎日だった。

Aさんとの出会い

転職して一年目、女性の A さんを担当することになった。
なお、本事例は実際の経験をもとに、個人が特定されないよう一部内容や経過を再構成している。 

A さんは転倒により下肢の骨折を受傷し、手術を受けた後の患者さんだった。術後のリハビリなんてやることは大体決まっているとタカをくくり、リハビリ室へ案内するため声をかけに行った。すると「リハビリか!はやく行こう!」と言ってもらえたが、リハビリ室までの道中は「痛い!頭も腕も脚もどこもかしこも痛いんよ!!」と騒ぎ、常時そわそわしている。何かに追われてせかせかしているような印象も受けた。リハビリ室に来た途端「帰る!!」と病棟へ帰ろうとする。私もどうしようとしどろもどろになりながら説明を試みるが、全く聞き入れられず、そのまま病棟にとんぼ返りした。A さんは病棟でも一日中、短い間隔でナースコールを使用する状態が続いており、看護師さんも、限られた体制の中で対応に頭を悩ませていた。看護師さんが訪室しても、強い痛みや動けないことを繰り返し訴え、痛みについては医師に相談するように伝えられたり、自分でできることは自分で行うように促される場面もあった。しかし、看護師さんが病室を出るとほどなくして再びナースコールが鳴る。毎日その繰り返しだった。デイルームに出てもらっても、とんぼ返りで病室に戻り、ナースコールを押す。ナースコールが頻回で業務が滞る状況に、職員も対応に苦慮していた。このころの A さんは不安な気持ちや寂しい気持ちから、職員を呼んでいたのではないかと思う。しかし、職員を呼んでも「痛い!」と騒ぎ、自身でもできるようなことを強い口調で頼むため、呼べば呼ぶほど職員との関係は悪化していくように思えた。

リハビリ室が落ち着く場になるまで

私は『術後だし、リハビリしなきゃ!できるかできないかではなく、やるかやらないか。』と自分自身に言い聞かせ、毎日 A さんのもとへ通った。徐々に A さんは私の存在を覚え、「担当の理学療法士は!はやくリハビリ呼びに来て!!」と病棟で言うようになった。迎えに行くと、「あぁ!やっときた!痛いんよ!はやくリハビリ行こう!」とせかせかとリハビリ室へ向かう。なんとかリハビリ室までは来てもらえるが、それでもついた途端とんぼ返りする日々が続いた。その後も毎日通い続け、徐々にではあるが A さんはリハビリ室に来ることに慣れ、リハビリ室内で滞在できる時間は増えていった。そして介入にまでこぎつけた。炎症所見も落ち着いてきたので、「前と比べてどうですか?」と聞くと「前なんか知らんよ!今痛いんじゃけぇはやく治しんさいや!」と怒られながらも、リハビリを続けていた。

過介助を避けたいという思いとのズレ

このころの A さんはリハビリ室に着くなりプラットホームへなだれ込み、足は靴を履いたまま、両脚はベッドから落ちたままの状態で、「ほら横になったよ!はよリハビリして!」という。A さんが自身で靴を脱げることも、脚をベッドにあげられることもわかっていたので、「このままじゃベッドから落ちるかもしれないので、靴を脱いで、ベッドに脚をあげましょう。」と声をかけたが、「痛いって言っとるんじゃけぇ手伝いんさいや!」と怒られた。このころ私は援助を強く求める状態にあったA さんに対して、過介助になってしまうと A さんの身体機能が低下してしまうのではないかという思いから、過介助にならないよう気を付けていた。しかし手伝わなければ、強い口調で怒られる。でも必要以上に手伝うことは理学療法士として学んできたことに反する。そんな板挟みの中、A さんのリハビリに行きたくない気持ちも芽生えたが、“できるかできないかではなくやるかやらないか”と言い聞かせ毎日 A さんのもとへ通った。関わる期間が長くなるにつれて徐々に、A さんは病棟で不満に思ったことや、看護師さんの人間関係の考察などを話してくれるようになった。他愛もない話の中で、「うん、うん。」と私が聞いていると、「わかるじゃろう?」とにこやかになる場面もあった。病棟では強い口調で「痛い!」と訴える A さんだったが、リハビリ室での口調は徐々にではあるが穏やかになっていった。夜通しナースコールを押している A さんはリハビリ室で横になるとすぐに熟睡することも増えてきた。『リハビリできるようになったんだから、どんどんやらなきゃ。』という思いも頭をよぎったが、『夜もほとんど寝られてないし、少しでもリハビリ室が落ち着く場所になったのならいいか。』という思いが勝り、熟睡している A さんの様子を見守りながら、その時間を大切にした。歩行練習の際には、「痛い…。痛いって言ってもどうせあなたは手伝ってくれんのんじゃけぇ。」と嫌味を言いながら笑いかけてくれるようになった。

リハビリ室ではシルバーカー歩行は見守りで行えるものの、病棟では突進するようにシルバーカーを押し周囲への注意が向きにくく、他患との距離が近くなることがあった。リハビリ室ではなんとか杖歩行を見守りで行える状態になっても病棟ではベッドが見えると杖の存在を忘れて、ベッドになだれ込む。病棟では転倒リスクの高い状態が続いており、注意して関わっていたが、ある日夜間に転倒し、反対側の下肢を再び骨折した。手術のため転院し、その後さまざまな事情で、リハビリを十分に受けられないまま、2週間ほどで再び入院となった。 A さんをリハビリのため迎えに行くと、「手術してもらった病院はここと違って設備も最新だったよ。」と笑顔で嫌味を言ってくる。術前の様子と変わらない A さんだった。相変わらず痛いとは言いながらも、リハビリには取り組んでくれる。そうしてシルバーカー歩行を見守りで行える状態になった。ある日、リハビリをしていると A さんが「ここが痛いんよねぇ。」と手術した場所を手で擦りながら言った。私は「そりゃあ骨折して手術したところだから痛みますよね。」と返答しながらも、客観的な評価と訴えが初めて重なったことに安堵した。会話を続けていると少し笑顔で「まぁ痛いけど、でも大丈夫よ。前ほどではないし。」と言ってきた。私は驚いて一瞬返答もできずに固まった。今まで、A さんが体の状態を表現するときには “現在”しかなかったからだ。

そのころから、表情も柔らかくなってきた。リハビリのため迎えに行くと、「今から行っても大丈夫?忙しくない?」と私のことを気遣う発言もみられるようになった。自分の世界でいっぱいいっぱいだと思っていた Aさんが私のことを気にかけてくれたことにも驚いた。それと同時に、A さんとの関わりの中で私自身が自分のことばかりでいっぱいいっぱいだったと気付かされた。そうして、デイルームでの作業療法に取り組める時間も伸びてきた。A さんに対応する病棟の職員にも笑顔がみられるようになっていった。現在では、A さんは最初に顔を合わせた時とは別人のように穏やかになり、他患に道を譲ったり、他患の困りごとを手伝う姿も見られるようになっている。私が挨拶に行っても、笑顔で「あぁ。来とったん?気づかんかったわぁ。今実習生さんとこれ作りよるんじゃけど、おもしろいよ。やってみる?」と依存する様子もなく、何気ない会話ができるようになっている

ネガティブな感情を排除しない練習

A さんとの関わりを通して、“精神的な何か”が精神面にもたらす影響の大きさを身をもって感じることができた。心理学や精神面のケアなどを勉強して、今思うのは、きっと A さんにとっては、A さんそのものを認めること、安心できる場所を作ることが重要だったのではないだろうか。もしかすると『過介助にならないように』と当時の私が貫いた正義感は、心理学や精神面のケアの観点からみると A さんの苦しい気持ちに寄り添わず、A さんの精神的な安定を遅らせていた要因かもしれない。それからというもの、職員が「忙しいからできない」と言ってきても、いきなり私のものさしを当てるのではなく、まずはこの人はそう感じていることを認めようとするようになった。結果的に自分自身の気持ちにも目を向けることが増え、ネガティブな感情を持ったとしても、その気持ちを抱いた自分を認められるようになった。

これからの出会い

振り返ってみると多くの人に出会い、その人たちからの様々な言葉や行動に影響を受け、自分自身の考え方が変わっていることに気付くことができた。これから先もきっと多くの人と出会い、私の考え方も今とは変わっていくこともあるのかと思うと楽しみである。

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