医療と現象学

内省・関わり
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医療の分野では、現象学について議論されることが時折あります。

結論から述べると、医療は「客観的事実」だけでは完結せず、
「経験としての病い」を必ず扱うことになるから
です。

医療は「疾患」と「病い」を同時に扱う

疾患(disease)と病い(illness)については、過去の記事で投稿しました。
「病いと疾患」「病いと疾患、その先へ」

端的に表すと、
疾患:医学的診断・数値・画像
病い:不安や恐怖・生活や将来への影響

病気になるということは、この「疾患」と「病い」を同時に引き受けることになります。

現象学は「病い」を理解するための基盤になる

例えば同じ腰痛でも、

  • 仕事を失うかもしれない痛み
  • 家族との予定をキャンセルして迷惑をかけてしまう痛み

こうした痛みの強さではなく、意味の違いを捉える視点が、現象学です。

現象学とは何か

現象学とは、
人が世界・身体・病いを「どう生きて経験しているか」を、
良い悪いではなく、そのままを理解しようとする態度と方法です。

この「良い悪いではなく、そのままを理解しようとする」ことを可能にしている態度が、
「エポケー」です。

エポケーとは何か

エポケーとは、判断停止のことで、いったん括弧に入れるということを意味します。

何を判断停止するのか、それは、既存の判断や前提です。
つまり、私たちが生きている間に身につけた常識や考え方を保留することを意味します。

エポケーの態度を取らず患者さんの語りを聞いてしまうと、
語りはいつの間にか医療的仮説を検証するための材料となってしまいます。
その結果、

  • 患者さんは、「わかってもらえていない」と感じる
  • 医療者自身も「何かしっくりこないな」ともやもやする

これは理解のレベルで
「疾患」と「病い」という二つの側面がうまく噛み合わない場合に起こります。

医療と現象学の違い

疾患と病いを含めた医療は、
「病気になることで、人の人生に起こる出来事」を扱います。
一方、現象学は、
「その出来事が、その人にとって、どんな体験として表れているか」を扱います。

医療は、
「病気になる」、「障害が残る」という出来事を扱い、
現象学は、
「時間の感じ方が変わる」、「以前は意識せず使えていた身体を操作しなければならなくなる」

現象学は、
出来事そのものではなく、
出来事の受け取られ方に目を向ける視点です。

まとめ

医療は、画像や数値といった疾患(disease)だけで完結するものではなく、不安や恐怖、生活や将来への影響といった経験としての病い(illness)を、必ず同時に扱います。
現象学は、この「病い」を理解するための基盤となります。

それは、症状の強さを評価するのではなく、
その出来事が、その人にとってどのような体験として生きられているのかを考えます。
この理解を可能にしているのが、
エポケー(判断停止)という態度です。

既存の知識や常識、専門家としての前提をいったん括弧に入れることで、
患者の語りを「医療的な仮説検証の材料」ではなく、「その人にとっての現象」として受け取ることができます。

エポケーを欠くと、
疾患と病いの理解が噛み合わず、
患者にも医療者にも「わかっていない」「しっくりこない」というもやもやが残ります。

医療が扱うのは人生に起こる出来事であり、
現象学が扱うのは、その出来事が人にどう経験されているか。

現象学の態度を持つことで、目の前の患者さんにとっての病いがどのような経験として表れているのかを理解することができると思います。

【参考文献】

  1. フッサール 原作(2020)『現象学の理念』,須賀原洋行 まんが,講談社.

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