医療の常識は科学的であり根拠のあることだと考えている医療者は多いでしょう。
一方で、その医療の常識に対して拒否反応を示す患者さんもいます。
そんなとき、医療者は患者さんを不正確な知識を持っており、
合理的な選択をできていない人だと思うことはないでしょうか?
そもそも、この場面では
「合理性」という言葉が、同じ意味で使われていません。
医療者の合理性は、
・確率(リスク)を下げる
・予後を改善する
・標準に向けて治療をする
一方、患者さんの合理性は人によって異なり、
・自分の生活を壊さないこと
・恐怖や苦しみを増やさないこと
・これ以上、病人として扱われないようにすること
同じ「合理的」という言葉でも、
目指している目的が違います。
その結果として、「医療行為を拒否する=非合理的」と見えてしまうことがあるのではないでしょうか。
では、拒否反応を示す患者さんは、
一概に不正確な知識を持っていると判断していいのでしょうか?
おそらく医療の常識に抗う患者さんは知識の欠如ではなく、
その人なりの優先順位が影響しているのではないでしょうか?
・治療によって失われるものが大きいと感じている
・過去の医療経験が強く影響している
・不確実な未来より、確かな現在を選びたい。
これらの点については、前回のリスクに関する記事も参考になると思います。
拒否は「間違った理解」の結果ではなく、
何を守りたいかという価値判断である可能性があります。
一方で、医療者が患者さんを「非合理的だ」と感じるときの背景はなんでしょう?
・医療者自身の合理性を基準に判断している
・標準治療から外れることへの不安や責任を強く感じている
・判断の軸が医学的アウトカムに集中している
といったことが考えられます。
確かに患者さんの拒否は「理解しにくい」。
しかし、それは非合理的だからではなく、そもそもの前提や文脈が違うのも一つの要因ではないでしょうか。
患者さんを理解するうえで、まず医療者に求められることは
・この人にとっての合理性とは?
・医療のメリットとデメリットをどのように感じているのか?
・医療者の考える良い結果と患者さんの考える良い結果は同じ意味を持つのか?
そんなことを自分自身に問いかけ対話していく必要性があります。
たびたび本ブログで触れてきた
「医療者と患者は異文化コミュニケーション」であるという前提。
医療の常識に抗う患者さんをどう理解するかは、
医療者が「合理性」をどう扱っているのかという問題でもあります。
医療の常識が科学的であることと、
その常識が全ての人に同じ意味で合理的てあることは、同じ意味ではありません。
そのズレに気付いたところから、関係性や対話は良い方向に変化していくのだと思います。
医療の常識に抗うのは非合理的なのか?
内省・関わりこの記事は約2分で読めます。


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