「専門職としての私」と「生活者としての私」

内省・関わり
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人類学や現代思想の中で、「分人主義」という概念があります。
これは、
人間を一つの人格や心を持った分割不可能な「個人(individual)」とみるのではなく、
周囲の人びとや環境との関係性からなる「分人(dividual)」の集合体や束のようなものと考える見方
です。

この概念は、小説家の平野啓一郎によって提唱されました。
分人主義は、「唯一の本当の自分がどこかにあるはずだ」という発想そのものを問い直します。
職場での自分、家庭での自分、友人の前での自分
それらは仮面や偽物ではなく、すべてがその関係の中で成立している正当な自己である、という立場です。

分人主義は、自己を一つに統合することを目指す思想ではありません。
社会的な自分を含めて引き受けることで、
複雑化した現代の人間関係を、より柔軟に生きるための視点を与えてくれます。 

医療者として働いていると、
「専門職としての私」と「生活者としての私」を切り離すような感覚があると思います。

「専門職としての私」は、科学的で感情に流されないことが求められ、
臨床を離れると、
「生活者としての私」は疲れもするし、業務でイライラしてしまった自分を引きずってしまうかもしれません。

そんなとき、
私は医療者として未熟なのではないか、
あるいは、私は冷たい人間になってしまったのではないか
と思ってしまうかもしれません。

しかしながら、それは「個人」としてみている結果です。
「分人」という概念で考えると、
「専門職としての私」も「生活者としての私」も関係性の中で変化しているだけで、
あなたという個人が断定されるわけではありません。

以前の投稿で、患者さんも病院においては「医療モード」に適応することについて書きました。
自分とは環境や関係性によって変化するものなのです。

「専門職としての私」と「生活者としての私」は、
それぞれが、異なる関係性の中での別の分人です。

患者さんとの関係の中での分人。
同僚や組織との関係の中での分人。
家族や友人との関係の中での分人。

それらを無理に一つにまとめようとしたときに、
かえって苦しさが生じるのかもしれません。

専門職であることは、
生活者であることを消し去ることではない。
また、生活者としての自分が、
専門職性を損なうわけでもない。

分人主義は、
「分けてはいけない」という規範(こうあるべきという社会的な考え方)を、
押し付けてはきません。

仕事とプライベートで、
うまく切り替えができないことがあると思います。
私自身も引きずることがあり、情けなく思ったり、
冷静でいる自分が冷たい人だなと感じたりすることがあります。

そんなとき、否定することなく、社会で生きている正当な自分だと思えると、
少しは楽になると思います。

今回の記事に関連して、田中祐介さんの投稿が新たな視座を与えてくれるように感じます。
▶️『医療者と患者:二足の草履を履く私』

【参考文献】

美馬達哉(2026)『「ふつう」ってなんだろう-病気と健康のあいだ』,講談社現代新書,p13−58.

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