変化する語り(ナラティブ)をどう捉えるか?

ナラティブ・語り
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医療者は病いの語り(ナラティブ)の読者であるという立場は、
臨床での患者さんを知ることにつながります。

一方で、病いの語りは頻繁に変化し、
強固な思いではないのではと感じることがあります。
何を、どのように語るのか。
それは、場所や時間、関係性により常に変化します。


そこで考えるのは、
変化する語りをどう捉えるのか?

患者さんの退院支援についての話し合いで、
看護師さんの言葉が思い出されます。
「患者さんの家に帰りたい、転院したいなどの思いは、時間や状況とともに変化するものです。
日々患者さんの思いに耳を傾けて退院支援もその都度介入していく必要があります。」


患者さん自身も、
自身の体調のこと、家族の状況、家屋についてなど
色々と考えて、不安になりながら、今後のことについて考えます。
家族もまた、生活の再編成が必要になってきます。
そのため、医療者は、患者さんはもちろんのこと、
患者さん家族の思いも知る必要があります。

何が正解なのか。患者さんにとって最善と考えられることはどうすることか。
そんなもやもやを抱えた時は、原点に戻って、語りとは何かを考えてみることとしています。
語りとは、語られる内容が、語る者の来歴(生きてきた経緯)や彼/彼女らを取り巻く社会的な状況(文脈)から、ある場合は苦しみの、ある場合は喜びの表現として現れるものである。

苦悩の中にいる時、
患者さんの語りはほとんどが混乱しているようで、整理されていません。
医療者として大切なことは、患者さんの語りの本質に気づくことだと思います。

医療者は、病いの語りの読者であり、翻訳者でもあります。
ここでの翻訳者とは、病気を経験した人々の文脈、感情、文化、苦しみの背景など、「言葉の背後にある物語」を医療者や社会が理解できる言葉に解釈・変換する役割をもつ者です。

患者さんの語りを聞き、一緒に整理すること。
そして、患者さんの翻訳者として、
多職種にあった言葉や伝え方で共有し支援につなげていくこと。
そうすることで、変化する語りも、本質的で強固な語りに近づいていくのではないでしょうか?

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