語ることは、癒しになるのか?

ナラティブ・語り
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みなさん、こんにちは。

今日はナラティブ(語り)を「話す」ということをテーマに書かせていただきます。

ある重症患者Aさんを担当した時の話です。

Aさんは物静かな50歳代の男性でした。入院後、何度も状態が悪くなり、病状悪化を繰り返していました。私が初めてリハビリテーション(リハ)に伺った時には、すでに歩けなくなるほど筋力が低下していました。

しかしAさんは、リハにとても積極的で、決して弱音を吐かず、常に一生懸命取り組んでいました。リハの途中にも病状が悪化することが何度かありましたが、それでもAさんの心は折れませんでした。

しばらくして私は、「Aさんの前向きな気持ちの根源はどこから生まれてくるのだろう」と疑問に思い、お話を聞かせていただけませんか?とお願いしました。

Aさんは「恥ずかしいです。少しの時間なら構いませんよ。」と了承してくれました。

業務が終わった後、Aさんのもとを訪ねてインタビューをさせていただきました。その内容もとても興味深かったのですが、インタビューを4回行って終了とした翌日のこと。

Aさんが「今日はないの?残念だな。」と言ってくださったのです。

インタビューを重ねるうちに、私はAさんが自分の人生観や生活史を振り返り、一種の癒しのような効果を感じているのではないか、と思うようになりました。

患者さんにとって、人にとって「語る」とはどういうことなのでしょうか。

普段、自分の人生を他者に語る機会は多くありません。自分の人生を一歩引いて、客観的に振り返る。

私自身、目標や願望を人に聞いてもらうことはありますが、自分の人生と結びつけながら語るということは、したことがありません。

言葉にして語ることだけがナラティブではありませんが、患者と医療者の信頼関係の先には、必ず患者の語りがあるのだと思います。

本日は、特に文献的考察もないエッセイでした。本日も読んでいただきありがとうございました。

T.A

※本エッセイは、個人情報保護の観点から、患者さんの属性・状況など一部内容を改変しています。

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