こんにちは。
今日は、『ナラティブ研究会」を誕生させるきっかけとなった、恩師の故 沖田一彦先生(県立広島大学教授)の論文を引用して、
“語り”とは何か?
を考えていきたいと思います。
“語り”とは単なる「おしゃべり」や「世間話」ではない
「語り」とは文字通り、人があることについて「話す」ことである。しかし、それは単なる「おしゃべり」や「世間話」ではない。その形式は、小説のように「物語」として活字で語られることもあれば、「打ち明け話」のように感情を交えた言葉で伝えることもある。
いずれにも共通しているのは、そこで語られる内容が、語る者の来歴(生きてきた経緯)や彼/彼女らを取り巻く社会的な状況(文脈)から、ある場合は苦しみの、ある場合は喜びの表現として語られるということである。
私たち医療者は、まずそのことに気づかなければならない。その語りが病気に関わるものである場合、それはしばしば「病いの語り」と呼ばれる。
沖田一彦:生活に向き合う医療とは何かー語り(ナラティブ)からの考察ー.京都在宅リハビリテーション研究会誌;8,p1−7,2014.
“聞き手”としての医療者の姿勢
臨床での何気ない会話は、ただの世間話で終わることもあります。
しかし、医療職として耳を傾ければ。
そこから患者さんの背景や価値観、家族との関係まで見えてくることがあります。
想像を膨らませつつ、
「それは正しいのか?」
と確認しながら対話を続ける。
そのやりとりが、”語り手”と”聞き手”によってナラティブを紡いでいくプロセスになります。
何気ない会話から、家族関係を読み解く

腰を曲げることができないから、なかなか靴が履けなくてね。この靴に変えといて本当に良かったよ。
理学療法士という職業柄?かもしれないが、臨床で靴に目がいくことが多い。
最近では、踵部分が丈夫に作られており、手を使うことなく履ける靴が販売されている。
入院患者さんがそのタイプの靴だった時、また、靴が新しく、腰の手術や股関節の手術をした方の場合は特に、
「この靴履きやすいですよね。腰を曲げたらいけないっていう時には、すごくいいですよね。
ところで、ご自分で買われたのですか?」
と聞くことが多い。
すると、

娘が入院のために買ってくれたんよ。履きやすい靴があるって調べてくれてな。
と言ったような返答がきたとします。
・・・ということは、娘さんと仲が良くて、今回の入院や手術のことを話したりして、この靴を選んだにでは、、、と想像します。
もちろん、臨床では勝手に決めつけない。
想像しながら、会話を重ねて、少しずつ確かめていく。
こうした小さな対話の積み重ねが、患者さんの背景にある物語を理解するための大切なヒントになると私は思っています。
「常に医療者でありなさい」
沖田先生から、よくいただいた言葉です。
医学では説明しきれない思いや悩みは確かに存在します。
ただ、患者さんはまず、質の高い医療・リハビリテーションを求めています。
だからこそ、患者の語りを医療者として見逃さない。その構えを常に持っている必要があるということを、先生は伝えたかったのだと思います。
ナラティブを学んだからといって、患者さんとの関係が劇的によくなるわけではありません。
しかし、患者さんの病いの語りに耳を傾けることが、結果として、質の高い医療に繋がるのだと思います。
我々は医療者には医療者の語りがあります。医学的に譲れない領域があります。
沖田先生は常々、こうもおっしゃっていました。
「完全に人類学者にはなれない。私は医療者だから。」
その言葉が、今も私の臨床の軸として、残り続けています。
まとめ
語りとは、単なる世間話ではなく、
語り手の来歴や社会的文脈を持って生まれるものです。
臨床では、何気ない会話の背後に
患者さんの価値観や生活、家族との関係、悩みや不安といったものが
含まれている可能性があります。
医療者として、病いの語りを見逃さないようにしたいと思います。
ナラティブを学ぶことは、実践的なものではないかもしれませんが、
患者さんの病いの語りを大切にする構えは、
結果としてよりよい医療に繋がっていくのだと思います。
本日も読んでいただき、ありがとうございました。
T.A
※内容は個人の見解であり、プライバシー保護のため設定を一部改変したフィクションを含みます。



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