ナラティブを伝えるにはー”なぜ?”が”確かに”に変わるまで

ナラティブ・語り
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臨床の中にいると、


なぜ、そんなに家に帰りたいんだろう?

なぜ、医療者のことに従ってくれないんだろう?

なぜ、他人事のようにしているんだろう?

なぜ?なぜ??

なぜ?が、たくさんです。

そんな時こそ、「知りたい」という気持ちを大切にしようと思っています。

なぜ?を明らかにするということ

私たちが、他者に対して”なぜ?”と思うのは、
その人の考え方や背景が自分とは違っているからです。

あるとき、どうしても理解が追いつかない患者さんがいて、
ご本人や周囲の方々にインタビューをしたことがあります。

話を丁寧に聞いていくと、


「ああ、そういうことだったのか」

と”なぜ”が明らかになっていきました。


その内容を事例としてまとめようと、

インタビュー内容をコードやカテゴリーに分けました(意味のまとまりを探す作業です)。

ところが、どうもうまくいかない。



自分が知りたかった”なぜ?”が、文章にすると、
うまく伝えられないのです。

“なぜ?”を”そういうことなら確かに”に変える

先輩に相談して、気づきました。


最初は、なぜ?と思ったかもしれない。

でも、色々と話を聞いて、生い立ちとか周囲との関係をたどっていくと、

「そういうことなら確かに、そうなるかもしれないね」
と思えてきたのです。

その「確かに」をみんなに思ってもらえたら、
理解してもらえたことになるのでは?


そんなところに落ち着きました。

形にこだわらない

患者さんを理解したいと思ったとき、

少しでも理解できたかなって思えたとき、


できる限り、形にこだわらないようにしています。

医療者は、データをまとめたりするのが得意です。

それを、グラフにしたり、表にしたりすると、
伝わりやすく、論理的に見えます。

一方、ナラティブをまとめようとすると、文章が多くなり、
結論は「これだ!」とはならず。

わかったような、わかってないような、

あいまいな感じになります。

そこにつまずいてしまう医療者は少なくありません。
特にセラピストは。

まとめ

この「あいまいさ」こそが、他者を理解するうえで大切だと思っています。


人は複雑で単純化できません。
だからこそ、語りにはグラフのような明確な答えが出ないのだと思います。


それでも、相手のナラティブを注意深く捉えて、

「そういうことなら確かに」と思えるところまで近づけたなら

それは十分に理解へと歩み寄れたことになるのではないでしょうか?


本日も読んでいただき、ありがとうございました。

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