どのように生きるのかを医療者に任せていいのか

内省・関わり

上記の事例は架空の事例ですが、多くの医療者が目にしたことがあるのではないでしょうか?

私がこの事例について何点か気になる点を挙げます。

①医療チームは、家族の介助負担があり、自宅での生活が難しいと考えていた。

一見すると、特に気になる部分はないように感じるかもしれません。
確かに、家族への介助負担があることは事実です。
しかし、それを持って医療チームが自宅での生活が難しいと結論付けてしまって良いのでしょうか?ご家族の中には、たとえ介助が必要でも自宅で生活することを選択することもあります。
「介助が必要」=「自宅での生活が困難」
と拙速に結論付けることには慎重になる必要があると感じます。
これは近年、議論されるShared Decision Makingにも通ずるものだと思います。

②施設入所は精神状態を考慮して、家族から患者に説明された。

これもよくある風景なのかもしれません。
患者は精神状態も不安定で、施設入所の話をされたらさらに不安を助長するかもしれないという判断かもしれません。しかし、自分自身が患者の立場に立てばどうしょうか?

“Nothing about us without us.”
「私抜きに私のこと決めないで」

という言葉があります。
この言葉は、障害当事者運動や自立生活運動で広く使われてきたスローガンです。
患者や障害者は、パターナリズムのもと言葉を奪われてきた歴史があります。
それに対する抵抗として、生まれた言葉なのです。

「どこで生きるのか」「どのように生きるのか」は人間の自由の本質的な問題です。
病気だから、障害があるからという理由で、それらが奪われていいのでしょうか?
特に日本は個人主義が弱く、集団に流される文化的傾向があります。

だからと言って、施設に入ることそのものを否定しているわけではありません。

  • 我々が当り前だと思っていることにもう一度立ち止まって考えてみる
  • 医療者の視点、家族の視点、そして患者の視点を対等に見てみる

ということを考えてみるための事例であったと考えています。

最後に“誰が、誰の人生を決めているのか?”

「私抜きに私のこと決めないで」

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