はじめに:医療者の苦悩をナラティブから捉える
今回は医療者の苦悩の困難さについて、ナラティブの観点からまとめます。
*今回の記事は主に下記の論文を参考にさせていただきました。
→西倉実季:「病いの語り」.質的心理学フォーラム.2019;11:p5-12.
皆さんの臨床での苦悩の問題の一つとして、その苦悩を医療者としての文脈で解決していこうとすることが考えられます。まずはナラティブが重要性を帯びてきた流れから考える必要があります。
ナラティブが重要になってきた背景
医師が診断する「疾患(disease)」と病者やその家族が経験する「病い(illness)」を対比的に考えたのが「病いの語り(illness narrative)」を執筆したクラインマンでした。
「疾患」とは、病気を医療者からみたもの
「病い」とは、病気を患者からみたもの、だと言えます。
*過去の投稿を参照『病いと疾患』
医学が見逃していた「サファリング(suffering):人がつらい・苦しいと感じていること」という主観的経験の視点の大切さに気づきました。
これまでの医学では、病気は生物医学的な現象で、専門家のみが理解可能という医学の文脈での理解でしたが、クラインマンは「説明モデル(explanatory model):患者や家族や治療者がある特定のエピソードについていだく考え」を確立し、患者さんと医療者の説明モデルの齟齬を埋めることを臨床の中心に据えることを提唱しました。
また、治療やケアにおいて患者さんの説明モデルの視点を持つことが治療効果や予後にも関連する可能性を主張しました。つまり、医師の「説明モデル」を相対化し(医師のあたりまえを問い直し)、患者さんの「説明モデル」をひとつの知として扱うべきだとしています。
その後、「ナラティブ・ベイスド・メディスン」等の医学におけるナラティブ(物語)の重要性への認識が高まりました。患者さんの世界を患者さんの視点から眺めることが適切なケアであるとされてきています。
『医師に求められる専門性は「科学的な専門的知識を持つ」と同時に、「患者の言葉に耳を傾け、病いという試練を可能な限り理解し、患者の語る病いのナラティブの意味付けを尊重し、目にしたことに心を動かされて患者のために行動できる」ことである。
リタ・シャロン(2015)『ナラティブ・メディスン-物語医療が医療を変える-』,医学書院,p3.
見逃されてきた論点:批判にさらされる側の医療者の苦悩
しかし、これらのナラティブの流れは、医療のあり方を患者からのみ検討するアプローチとなり、結果的に専門家を批判する形となり「批判にさらされる側の専門家自身の苦悩」という面が見逃されてきたことが指摘されています。
そして、医療者の苦悩を語る場は少なく、ましてや医療者であるがゆえに、自分自身に生じた苦悩でさえも医学的な文脈に置き換えてしまい、主観的な意味での苦悩であることが見過ごされてしまいます。
つまり、医療者の苦悩が「行き場を失っている」と指摘されています。
不確実性のなかにある医療の実践と、語られるべき物語
医療行為には高い不確実性が伴います。そのため、多くの医療者が「思い」「とまどい」「悩み」を抱えている物語が存在すると思います。
それらの物語を語ることは、「医学」や「医療」、「医療者」のあり方を問い直す意味で語り手にとっても聴き手にとっても意味あるものにつながります。
本ブログでは、患者さんの病いの語りのみならず、医療者の語りについても記述するようにしています。その理由は、患者の病いの語りの良い聴き手になれる方が優れた医療者で、聞き手になれない方は医療者として劣っているという安易な解釈にならないことに注意しているからです。
医療者と患者関係を良好なものにするためには、医師が患者(生活)に、患者が医師(医学)に歩み寄る必要があると考えております。
私自身は、医療者の苦悩の語りには、専門職としてのプロフェッショナリズムが強く影響していると考えています。
医療者の苦悩とプロフェッショナリズム
プロフェッショナリズムとは、「仕事の編成あるいは仕事への志向の一形態、つまり固有の職業的活動への取り組み方ないしその遂行に関する共有の志向のこと」
一般的な職業であれば、社会に出てから身につけていくものですが、医療などの専門職においては基本的な志向を大学や養成校での教育課程の段階から自然と形成されているものであると思います。個人により異なる部分もありますが、医療者はこうあるべきであるという規範としてのプロフェッショナルが多く存在します。
そのため、医療者は苦悩を語るべきではないという空気が強く残っているのではないのかと考えています。
医療者の苦悩の語り手あるいは聞き手になることは今後の臨床業務においても非常に大切なことだと思います。医療者としての自分を肯定しつつ、現場における「もやもや」を振り返る時間を持つことがナラティブの視点につながる一歩になると思います。
まとめ
ナラティブが重視されてきた背景には、クラインマンの「疾患(disease)」と「病い(illness)」の区別があり、患者さんの主観的経験(サファリング)や説明モデルを臨床の中心に置く視点が広がってきました。
一方で、この流れは患者さん側からの医療批判に偏りやすく、批判される側である医療者自身の苦悩が見えにくくなってきた面があります。
医療現場は不確実性が高く、医療者にも「思い」「とまどい」「悩み」の物語があります。しかし医療者は、その苦悩を医学的文脈に置き換えて処理しやすく、主観的な苦悩として語られにくい状況があります。背景には、苦悩を語りにくくするプロフェッショナリズムの規範や空気が影響している可能性があります。
そのため、患者さんの語りだけでなく医療者の語りも扱い、医療者が自分を肯定しつつ現場の「もやもや」を振り返れる場を持つことが重要です。医療者と患者さんが相互に歩み寄るためにも、医療者の苦悩を言葉にし共有可能な物語として扱う視点が求められます。
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【参考文献】
- 西倉実季:「病いの語り」.質的心理学フォーラム.2019;11:p5-12.
- アーサー・クラインマン 著(1996)『病いの語り-慢性の病いをめぐる臨床人類学』,江口重幸,五木田紳,上野豪志 訳,誠信書房.
- リタ・シャロン(2015)『ナラティブ・メディスン-物語医療が医療を変える-』,医学書院
- 浮ヶ谷幸代 (2014)『 医療専門家の苦悩をいかに解き明かすか?』,浮ヶ谷幸代(編),『苦悩することの希望─専門家のサファリングの人類学』 (pp.1-24). 協同医書出版社,pp.1-24.



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