ナラティブ:物語
ナラティブは、狭い領域を指すものではなく、
医療と他の学問分野(文化人類学、社会学、心理学、看護学、言語学、文学、倫理学、教育学など)との幅広い交流を特徴としています。
そのため、医療者がナラティブを学ぼうとすると、どこから情報を得るべきなのか悩むことがあります。
特に、普段触れている論文やガイドラインのように数値的な解釈がなく、社会構成主義(私たちが「現実」や「真実」だと思っているものが、客観的に存在するものではなく、人間同士の対話や社会的な関係性の中で作り上げられたものであると捉える考え方)による実践を意図しているため、難解に感じることが多いと思います。
そこで、
今回は、医療に焦点を当てたナラティブ:Narrative Based Medicine(NBM)のこれまでの流れについて整理します。
医療におけるナラティブ導入の背景
Narrative Based Medicine(NBM:物語に基づく医療)という概念が最初に提唱されたのは、1998年に発行されたモノグラフ(特定の主題を深く掘り下げた研究書や論文)でした。
同誌の編集者は、英国の一般医であるとともに、Evidence Based Medicine(EBM)の研究者でもありました。
EBMは、極端に言うと、エビデンス至上主義(科学的根拠(論文やデータ)のみを絶対視し、医師の経験や患者の価値観を無視する医療アプローチ)のような考えをもって臨床に取り入れられてしまっている側面が存在します。
一方で、EBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づく医療)の本来の意味は、単に科学的なデータのみを優先させることではなく、「個々の患者のケアに関わる意志を決定するために、最新かつ最良の根拠(エビデンス)を、一貫性を持って、明示的な態度で、思慮深く用いること」と定義されています。
NBMを提唱したモノグラフの編集者はEBMの課題について、以下のように述べています。
「西洋医学においては、治療法を倫理的に支える妥当で確実な根拠(エビデンス)を求めることに対し熱心な努力がなされてきた。しかしそれに比べると、臨床において患者自身の体験を理解することや、患者と良好なコミュニケーションを保つことはあまり注目されてこなかった。私たちが物語(ナラティブ)に注目するようになったのは、西洋医学におけるこのような不均衡を強く感じていたためである」
このように、NBMはEBMを補完するという意味合いから出発しています。
以下の表は、NBMがどのように本邦に取り入れられてきたのかをまとめています。
| 1) 全人医療(Bio-phycho-social model)の流れ(Balient, Engelなど) |
| 2) EBMを補完するものとしてのNBMの流れ(Greenhalgh, Hurwitzなど) |
| 3) 医療人類学(特に精神医学領域)の流れ(Kleinman A:『病の語り』など) |
| 4) 医療社会学の流れ(Frank A:『傷ついた物語の語り手』など) |
| 5) Narrative therapy(家族心理療法)の流れ(Anderson, White, Epstonなど) |
| 6) 本邦の心理学・臨床心理学における広義の物語論の流れ(河合隼雄,やまだようこなど) |
本ブログでは主に1)〜4)のムーブメントに関して解説や事例を投稿しています。
NBMを実践するうえでの特徴
NBMは、EBMのように明確なステップが用意されているわけではなく、患者さんとの対話を通じて患者と医療者の物語を相互にすり合わせて、すれ違いを最小化することを目的としているため、探索的である特徴があります。
以下の表は、NBMの実践における特徴をまとめています。
| 1. 病いを「人生という大きな物語」の一部とみなす 患者が経験している「病い」や、それに対する「対処行動」を、単なる医学的な事象として切り取るのではなく、患者の人生や生活世界というより大きな文脈の中で展開される「物語」であると捉えます。これにより、数値やデータだけでは見えてこない、患者一人ひとりの固有の背景を理解することが可能になります。 |
| 2. 患者を「物語の主体」として尊重する 患者を情報の提供者や観察対象としてではなく、「自らの病いを定義し、形作っていく主体」として最大限に重要視します。医療者は、患者が自身の病いにどのような意味を見出し、どう向き合おうとしているのかという「役割」を尊重します。 |
| 3. 「唯一の真実」にこだわらない ナラティブ・アプローチでは、一つの問題や経験に対して「複数の物語(説明)」が同時に存在しうることを認めます。「唯一の正しい真実」という概念は、個々の患者の納得を導き出す上では必ずしも役に立たないと考え、多様な解釈の可能性を許容します。 |
| 4. 非線形的なアプローチ 物事を「先行する一つの原因に基づいた予測可能な結果」という単純な因果関係(線形的)では捉えません。むしろ、複数の行動や複雑な文脈が相互に交流する中から、新たな意味が浮かん(創発)してくるものと見なします。 |
| 5. 対話そのものを「治療の重要な一部」とする 医療者と患者の間で交わされる対話やコミュニケーションは、単なる情報交換の手段ではなく、それ自体が治療の本質的なプロセスであるとみなされます。対話を通じて患者の「病いの物語」と医療者の「医学的物語」を擦り合わせ、双方が納得できる「新しい物語」を共に創り出していくことがNBMの実践です。 |
NBM(Narrative Based Medicine)は、
患者さんの病気や苦しみを、単なる「症状」や「診断名」としてみるのではなく、その人の人生全体の中で起きている出来事として理解する医療です。
そして治療は、
医療者が一方的に正解を与えるものではなく、患者さんの語りと医療者の知識をすり合わせながら、新しい物語を共に創り出していく過程
だと考えます。
EBMとNBMは対立しない
NBMは、EBMと対立する考え方ではありません。
むしろ、EBMが得意とする「治療の妥当性」や「再現性」の検討に対して、NBMは「その治療がこの人にとってどのような意味をもつのか」を考える視点を補います。
つまり、EBMが一般化された知見を扱いすぎてしまっているという問題に対し、NBMは目の前の一人の経験に近づこうとしEBMを補完する役割を担っているのだと言えます。
例えば、
膝の痛みがあり、運動療法が必要だと説明された患者さんが、なかなか継続できない。
EBMの視点では、どの運動が有効か、どの頻度が適切かを考えます。
一方でNBMの視点では、その人の生活に運動がどのように位置づいているのか、痛みが何を意味しているのか、日常生活のどこで困難さを感じているのかを対話します。
そして、今の患者さんの生活の文脈に以下に運動療法を取り入れていただくかを考えていきます。
患者さんの語りを尊重したアプローチであり、EBMにNBMを取り入れることで、より実践的で効果的な医療を提供することができるように思います。
NBMは技法ではない
ここで注意することですが、NBMというと、患者さんの話を丁寧に聴くことや、良いコミュニケーションをとることだと理解されやすいと思います。けれども、NBMは単なる「上手な聴き方」の技法を表しているわけではありません。
NBMは、医療者がどのように話を聴くかだけでなく、患者さんの語りをどう解釈するか、という医療の見方そのものです。
たとえば、患者さんの話が病気のことだけでなく、家族や仕事、これまでの経験へと広がっていくことがあります。忙しい臨床では、それを脱線や情報不足のように感じることもあります。しかしNBMでは、その広がりを、その人が病いをどのように経験し、意味づけているかを知る手がかりとして捉えます。
大切なのは、語りをうまく整理することではありません。医療者としての文脈を自分自身が自覚し、患者さんの語りを医療という限定された視点で考えないようにします。
このように、NBMは会話の技術というよりも、患者さんの病いを生活や人生の文脈で捉え、医療者自身の構えにも目を向けるための視点だと言えます。
まとめ
NBMは、患者さんの病いを「診断名」や「症状」としてだけではなく、その人の人生の中で起きている出来事として捉えようとする医療です。
そして治療とは、医療者が正解を与えることではなく、患者さんの語りと医療者の知識を重ね合わせながら、その人にとっての道筋を一緒に考えていく過程だと言えます。
EBMが治療の根拠を支えるものであるなら、NBMは、その治療がこの人にとってどのような意味をもつのかを考えるための視点です。
両者は対立するものではなく、むしろ補い合う関係にあります。
また、NBMは単なる聴き方の技術ではありません。
患者さんの語りをどう受け取り、何を見落としやすいのかを医療者自身が問い直していくことが含まれます。
だからこそNBMは、会話の方法というより、医療の見方そのものに関わる視点なのだと思います。
本ブログでは、こうした視点をもとに、臨床で出会う語りやすれ違いについて、少しずつ考えていきます。
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【参考文献】
- 斎藤清二:医療における「装備」としてのナラティブとエビデンス.季刊ほけかん.2014;62:1-3.
- 斎藤清二:患者と医療者の物語―Narrative Based Medicineの意義―.理学療法学.2005;32(8):445-449.



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