今回の研究会では、社会参加支援について議論を重ねました。
客観的次元を超えて主観的次元に着目して支援をしていく。
そんな中で、間主観性(intersucjectivity)の視点で対象者や周囲の方々、そしてセラピスト自身も考えていく重要性がでてきました。
間主観性とは、狭い意味で、2つの主体が同時に両者の外にある客体を眺めているときに生じるトライアンギュレーションである。
現象学者たちは、間主観的に関する哲学的概念を深めて、知覚と解釈という認識行為を含むだけでなく、人間関係のために被る個人的な変容も含むものとした。
フッサールは、認識的、知覚的、存在論的な考察を複雑に織り交ぜながらこう書いている。
「私は(他者を含む)世界を、経験的な意味で、(いわゆる)私が個人的に構成したものとしてではなく、個としても私とは別のものとして、つまり間主観的な世界、だれにとってもそこにあり、対象物として誰でもアクセスできるものとして体験する」リタ・シャロン(2015)『ナラティブ・メディスン-物語医療が医療を変える-』,医学書院,p72−73.
間主観性とは、
「自分ひとりで世界を見ているのではなく、他の人と一緒に世界を見ている」
ということです。
たとえば、私が夜景を見て「きれいだな」と思う。
同じ夜景を、別の人も見ている。
するとその夜景は、私だけのものではなく、他の人とも共有可能なものになります。
これが間主観性の基本です。
主観と客観の間に位置します。
そもそも、主観や客観は関係性の中では成り立たないという前提もあるのかと思います。
次の
2つの主体が同時に両者の外にある客体を眺めているときに生じるトライアンギュレーション
これは、私とあなたが、同じ「何か(事象や想い)」を一緒に見ている状態を指します。
たとえば患者さんと医療者が、病いについて対話するとき、
そこには
- 私
- あなた
- 私たちがともに向かう対象や事象
という三項関係が生まれます。
これがトライアンギュレーションです。
さらに、現象学では間主観性はそれだけにとどまりません。
知覚や解釈だけでなく、他者との出会いによって自分自身が変わることも述べられています。
つまり、
- 他者を通して世界の見え方が変わる
- 他者との関係のなかで、自分自身も変容する
ここまで含めて、間主観性と考えます。
フッサールの言っていることを私なりに噛み砕いて表すと、
間主観性とは、人は、他の人と関わりながら世界を理解している、という考え方です。
医療で言えば、
患者さんの経験は、医療者や他者との関係性の中で意味が作られていること
が間主観性です。
今回の研究会では、社会参加支援や就労支援の中で、
対象者の体験が周囲の存在によって、様々な意味に変化しました。
主観的体験と捉えることも重要であるとともに、
極端に主観や客観の立ち位置を取るのではなく、
自己と他者からなる間主観的な立ち位置で物事を考えていくことで、良い支援に繋がっていくのかもしれません。
難しい概念ですが、医療で使用する客観的データというのも、主観を完全には取り除くことはできない前提が存在するのだと思います。
【参考文献】
- リタ・シャロン(2015)『ナラティブ・メディスン-物語医療が医療を変える-』,医学書院,p72−73.



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