ある患者さんの言葉が、私にとって衝撃的でした。
※本記事は、実際の臨床で得た学びをもとにしています。ただし、患者さんの個人情報保護の観点から、背景・状況・発言内容などは特定されないよう一部改変しています。
ケアの両義性 「よかれ」が「よくない」時もある
ケアは本来、ひとを支えることであり「よいもの」と受け取られがちです。
しかし、社会学ではケアの持つ両義性が強調されます。
ケアはそれ自体でつねに「よきもの」ではない。過度のケア、不適切なケア、ケアされる者がのぞまないケアは、抑圧や強制となる。このケアの両義性を論理的に析出しておくことの重要性は、(中略)当事者主権にも関わってくる。
上野千鶴子(2011)『ケアの社会学──当事者主権の福祉社会へ』太田出版.
メアリー・デイリー(Mary Daly)は、ケアの権利として3つを提唱しています。
- ケアする権利
- ケアされる権利
- ケアすることを強制されない権利
ケアを「提供する側」と「受ける側」の双方から捉えた、人権論的な視点です。
社会学者の上野は、上記の3つに修正上野モデルとして、もう一つ加えました。
- ケアをされることを強制されない権利
上野は、一方的な「ケア=善」という前提への批判をしています。
「頑張ってとか、元気になって」といった励ましの言葉を拒否した患者さんは、決してケア全般のことを指していたわけではありません。
「トイレに行けないから、一緒に行ってくれたり、、、歩けないから、リハビリをしてくれたり、自分にとってプラスだと思うことに関しては、積極的に手伝ってほしいと思う。」
身体機能を支える医療的ケアは歓迎していますが、
心理的な励ましは望んでいませんでした。
この違いが非常に大きいと思うのです。
リハビリテーション意欲と心理的ケア
以前の投稿で、『リハビリテーション意欲のナラティブ』について考えたことがあります。
看護研究やリハビリテーションの研究で、確かに心理的ケアによりリハ意欲が向上するという報告もあります。
一方で、今回の事例のように、心理的ケアではなく、医療的なケアのみを求めている方もいらっしゃいます。
心理的ケアが、全て励ましや労いの言葉に限られたものではありませんが、それぞれの患者さんが求めているケアと求めていないケアについては十分な配慮が必要だと思っています。
まとめ
善意であっても、望まれないケアは「ケアの強制」になりえます。
大切なのは、ケアをする側の論理ではなく、当事者の主権を中心に据える必要があると思います。
今回の投稿が、ケアそのものを捉え直すきっかけとなったなら幸いです。
リハビリでも、ナラティブでも、心理的ケアでも、
「この人はいま、どんなケアを必要としているのか?」
を問うことが、最初の一歩になりそうです。
本日もありがとうございました。
T.A



コメント