本稿では、
「医学的に正しいとされる治療」と「その人の人生」とが乖離したとき、
そのあいだに、どのようなズレが生じていたのかを考えます。
臨床の現場では、
「正しいはずなのに、納得してもらえない」
そんな経験があると思います。
ここで最も重要なことは、
「疾患や症状、そして治療がその人の人生の中で、どのような意味をもったのか」という点です。
最適な治療
医療の現場では、
「この治療が標準です」
「最新の知見をもとに考えると、こちらが最善です」
というニュアンスの説明をする場面が数多くあります。
多くの場合は、それは正しい判断です。
しかし、その判断を患者さんに最適であると感じてもらえないときがあります。
「その人の人生にとって最適な治療とはなんだろう?」
今回は、そんな思いを抱かせてくれた
ある患者Aさんとの経験について書いてみます。
※本稿に記載された事例は、個人情報保護および倫理的配慮のもと、実在の人物や出来事が特定されないよう内容を一部改変しています。
生命に関わる治療
Aさんは定年まで会社の経営者として働いてこられた方でした。
ある日、日常の外出中に体調を崩して救急搬送されました。一命は取り留めましたが、その後の検査で、命に関わる不整脈が起こる可能性があると説明を受けました。
そのうえで医師から、
致死性の不整脈が起こる可能性があるため、ICD(植込み型除細動器)植込みをする必要がある
と説明を受けました。
Aさんは当時をこう振り返ります。
「医師から『1回あったことはもう一回あるかもしれないから』と言われて、自分は納得はできなかったんですが、説得されて植込みの治療を受けることにしたんです」
周囲の説得もあり、渋々ICD植込みを決断しました。
「生きている意味」を失った日々
ICD植込み後、Aさんの生活は大きく変わります。
運転制限、運動制限、日常生活上の注意事項。
説明を受けるたびに、不安は積み重なっていきました。
「携帯を左手で持つなとか、
重い物を持ったらリード線が切れるとか、
次から次へと言われるでしょう。
そしたら、自分はどう生きたらいいのかわからなくなったんです。」
Aさんは次第に外出を控え、
以前は楽しんでいた人付き合いも避けるようになっていったといいます。
医学的には治療は最善であるのに
Aさんの人生は今までとは変わってしまいました。
「生きている意味があるのだろうか」とさえ考えたようです。
医療の正しさと患者の人生のズレ
医療現場において、医療ニーズが必ずしも患者の希望と一致しないということは医療者であれば感じることがあると思います。
今回の経験で言いたいことは、
最善とされる医療を否定したいわけではありません。
医療者側にとってICD植込みという治療は、
生死に直結するがゆえに、
患者にとっても望まれていると考えられてきました。
しかし、
医療の正しさと、人生の納得は、必ずしも一致しない。
このズレは、知識や技術だけでは埋められないことがあります。
だからこそ、
「その治療は、その人の人生の中で、どんな意味をもったのか」
ということを一度立ち止まって考えていく必要があります。
まとめ
最善の医療は、その人の人生にとっての最善ではありません。
今回のAさんとの体験は、そのことについて深く考えさせてくれるものでした。
日々行っている説明や治療は、
目の前の患者さんにはどう受け取られているのでしょうか?
そこには、その人の生活史や人生観が複雑に影響しています。
一人ひとりの「疾患」ではなく、「病い」について考えることの大切さをあらためて感じました。
【参考文献】
尾藤誠司 編(2007)『医師アタマー医師と患者はなぜすれ違うのか?』,医学書院.



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