リハビリテーション意欲(リハ意欲)の起源(参考文献を元に筆者が作成)

リハ意欲って何だろう?
こんにちは。本日は医療者向けの投稿です。
テーマは「リハビリテーション意欲」。
※本記事には筆者の個人的見解も含まれます。
臨床のなかで「意欲的な患者さん」「意欲がない患者さん」という言葉を使うことがあります。
しかし、私たちは何をもって 意欲がある/ない と判断しているのでしょうか?
この問いを、ナラティブという視点から考えてみたいと思います。
どんな時、リハ意欲が高いと感じるのか。
岩瀬らは2014年に「患者のリハビリテーション意欲をどう評価するか」という論文を発表しました。その中で、リハビリテーション意欲があるなって医療者が感じる患者とはどのような人なのか調査しています。
- 自分から積極的に自主トレーニング(自主トレ)をしている
- 自主トレの要望がある
- 自主トレの方法について質問される
- リハを一生懸命に行う
- リハで指導されたことを病棟で行っている
なるほど、主体的に頑張っている方に対してリハ意欲が高いと印象を持つのだな。
リハ意欲を左右する要因
そして、作業療法士である吉田らの「脳卒中患者のリハビリテーションへのモチベーションに関するシステマティックレビュー」では、リハ意欲に変化を与える要因として、
- 対象者の個人特性や年齢・疾患といった患者の基本情報
- 家族の存在
- 文化的背景
- 物的環境
- 個人的な目標の有無
- 励ましの有無
- 社会的な支援
- 日常生活にもたらされる利益
- 訓練から逃れたいという気持ち
- 目標の維持
- 回復に対する信念
- 医療者の態度
- 訓練の心理的・身体的な利益
患者側のリハ意欲について考察すると、たくさんの要素が出てきます。今回の研究では、脳卒中患者を対象としておりますので、疾患が変わると、要素も変わってくる可能性も考えられます。
筆者が思うこと
以上の研究結果を見て私が思うこと。それは、リハ意欲があるから良い、リハ意欲がないから悪いということではありません。その背景に何があるかを考える必要があると思うのです。ここにナラティブが存在すると強く感じております。
どうしてリハ意欲がないと思うのかという医療者の視点、また、リハ意欲がないと感じさせる患者はなぜそう感じさせるのか?ここを明らかにするうえで、病名や重症度のみでは理解できません。
マクレーンは、リハ意欲には人格特性や社会的要因あるいは、それらが重複して影響を与えると報告しています。これらを形成するものは何があるでしょうか?一人ひとりの生活史(Life history)だと考えています。
ここでの、生活史とは、個人の今までの生き方や考え方、仕事や家族のことなど人生のナラティブと定義します。
リハ意欲の起源をたどるには、患者さんの生活史を理解し、そこにある個人的・文化的背景を把握する必要があります。
そしてそれらは、多くの場合、対話の中で自然に語られるものです。普段の臨床では、この対話に注意を払う必要があります。
残念ながら、日々の臨床の中では、こうしたことについてじっくりと考える時間をとることは難しいと思います。ナラティブ研究会がそういった場を提供できたらいいなと普段から思っている次第です。
おわりに
リハ意欲は単なる「やる気」ではなく、
その人の人生史、文化、環境、信念が折り重なって生まれるものです。
その背景に目を向けることが、私たち医療者にはできると思っています。
本日も読んでいただいてありがとうございました。
T.A
<参考文献>
- Maclean,N et,al:A critical review of the concept of patient motivation in the literature on physical rehabilitation.Soc Sci Med,2000,50:495-506.
- 工藤:医師・医学生のための人類学・社会学.飯田,錦織編,ナカニシヤ出版,2021:pp72-82.
- 岩瀬ら:患者のリハビリテーション意欲をどう評価するか.ヘルスプロモーション理学療法研究,2004,3(4):183−187.
- 吉田ら:脳卒中患者のリハビリテーションへのモチベーションに関するシステマティックレビュー.作業療法,2020,39(4):468-477.



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