医療専門家のあるべき姿とは?ー社会が求める理想像

文化・医療人類学

医療専門家は質実剛健かつ強固な精神の持ち主であることが社会から期待されているため、自身が抱えているはずの病苦や人生苦を告白することはない。それは、告白によって、医療専門家として失格であるとの烙印を押されてしまうことを恐れているからである。

H・マンデル,H・スパイロー編;才藤栄一,鈴木美保監訳.医者が病気になったとき.東京:中央書院,1994.

苦悩する姿を他人に見せてはいけない。
こうした思い込みや社会が求める理想像に強くとらわれて臨床にあたっている医療専門家は多いと思います。そして、それらの殆どは無意識の中で生じていると考えられます。

そんな中、文化人類学者は、興味深い視座を与えてくれます。

世の中に存在する医療専門家ではない、苦悩に対処する民間職能者(シャーマニズム:霊的知識を持つ民間職能者。病気治療、未来予言、死者との交流などを通じ、神霊・精霊と交流する)は、自身も苦悩を抱えた過去があって、それを克服したという経験に裏打ちされた知識と実践の固有性に基づいていると考えられています。

医療専門職は、逆に自身の苦悩の有無を問題にすることはありません。
そんな背景もあり、今まで医療専門職に関しての苦悩(サファリング)に焦点は当てられてきませんでした。以前の投稿でも、医療者の苦悩についてまとめています。

そもそも、サファリング自体が、病いの当事者に対して使用されてきました。
『何がつらいですか?:サファリングについて』

みなさんは、普段どんな医療専門職を優れた医療者であると認識していますか?
また、どんな医療者になりたいと思っていますか?

みなさんが、前述したような社会が求める理想像に近づくということは、
医療専門家は、患者さんの生活や暮らしの部分を脇に置いてしまい、
医学的に普遍的技術を提供するということに主眼がいきやすくなります。

そして、
患者さんの生活者としてのリズムや空間に合わせた状況依存的な日々の実践と
医学に裏打ちされた普遍的技術の提供との狭間で葛藤することにもつながる

指摘されています。

そこに、医療者のサファリングが強く現れてきます。

こうして考えてみると、医療者の苦悩は、単に個人に起因した性格やメンタルの弱さの問題として片づけられるものではないように感じます。
むしろ、医療専門職として期待される役割や規範、そして患者さんに向き合おうとする誠実さそのものの中から生じてくるものだといえます。
医療者が苦悩を抱えることは、専門職として未熟であることを意味するのではなく、患者さんの苦しみや生活者としての複雑さに関わろうとしているからこそ生じることがあるのではないでしょうか。
だからこそ、医療者自身のサファリングについても、見えないものとして処理するのではなく、医療の実践を考えるうえで今一度丁寧に捉えていく必要があると思います。

医療者は、患者さんの苦しみに向き合う存在であると同時に、自らもまた葛藤や苦悩を抱えうる存在です。
それにもかかわらず、その苦悩はこれまで見えにくいものとして扱われてきました。
だからこそ、医療者のサファリングにも目を向けることは、医療者個人を守るためだけではなく、医療そのものを見つめ直す意味でも重要だと思います。

【参考文献】

  1. H・マンデル,H・スパイロー編;才藤栄一,鈴木美保監訳.医者が病気になったとき.東京:中央書院,1994.
  2. 浮ヶ谷幸代.医療専門家のサファリングとその創造性―患者、利用者、依頼人との距離感という困難を越えて.文化人類学.2013;77(3):393-413.

コメント