セラピストのあたりまえ

内省・関わり


医療者が臨床で、「もやもや」を感じたとき、
自分自身の「あたりまえ」を問い直すことから他者理解へと繋げることの大切さを訴えてきました。
※こちらの記事を参照↓
「医療者がもやもやを感じたとき」

本日は一般的なセラピストのあたりまえについて考えてみます。
今回の投稿は個人の見解に基づいておりますのでご了承ください。
また筆者自身が理学療法士であることから、考えが偏ってしまっていると考えられます。

セラピストのあたりまえ

・評価は数値化するなどして客観的なデータが好まれる
理学療法は医療であり、エビデンスが求められます。そのため、評価の数値化は重要で、介入前後での効果の可視化が重要になってきます。

・ADLの自立度の向上が求められる
身体機能を高めてADLの向上が求められています。リハビリテーションの目的そのものが社会生活を取り戻す「全人的復権」であり、ADL能力の改善は必須です。また、FIMは診療報酬の観点からも重要であり、日本の社会制度においても、ADLの重要性をセラピストに訴えてきています。

・離床が重要ミッション
廃用症候群を予防・改善するためには、離床が必要不可欠です。
特に急性期病院においては早期離床が求められます(診療報酬においても)。
そして、離床に繋げるために多職種で話し合ったり、離床後からリハビリテーションプログラムが活発化してきます。

・リハビリを拒否する患者さんに思うこと
これに関しては、大きく二つの思いを抱くと思います。1つ目は、「やれそうなのにな」とリハビリをすることで、大きく改善が見込めるのはずなのにと、リハビリ拒否を「機会損失」と捉えること。もう一つは、「そうだよな」とリハビリを拒否される患者さんの病状や心理社会的背景を考えると不自然ではないように感じる思いです。

・セラピストそれぞれの専門職としての仕事の範囲が異なる
病院や施設では、多職種が働いています。それぞれが専門性やアイデンティティを持っています。この専門性は勤務地や個人により大きく異なっているように感じます。考えてみると、セラピスト内の職種においてもしっかりとした境界は無いように思います。

セラピストの「あたりまえ」をざっと考えてみました。
「臨床においてのあたりまえ」、「患者関係においてのあたりまえ」、「職種内においてのあたりまえ」、そして「社会から要請されているあたりまえ」と視点を変えると多くのセラピストのあたりまえが存在します。

他者を理解するのは、自己を理解すること。
ナラティブと聞くと、個々の患者さんの理解を強く求めるものであると感じるかもしれませんが、
専門職内で共通しているかもしれない「あたりまえ」に目を向けることで、
セラピストと患者さんの「あたりまえ」のズレが、少し見えやすくなるかもしれません。
それが、他者理解への最初の一歩につながると思います。

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