臨床で患者さんの話が、
途中で脱線したり、同じところを何度も行き来するような経験はありますか?
普段の時間に余裕がない臨床の中では、
「このままではいけない。必要な情報を聞き取らないと」なんて考えたりすることがあると思います。
また、自分が聞きたかったことは何だったかという要点が見えなくなって、
「情報が足りない」
「話がまとまらない」
「どこまで信じていいのか悩む」と感じることがあります。
ただ、その脱線や散らかりのある語りは、
その患者さんが病いをどう経験し、
どこに意味を置いているかを組み立てている最中なのかもしれません。
まとまりのない語りをまとめてみたいと思います。
- 脱線する語り:身体や病気の話から家族・仕事・昔の話へ
その脱線の先には、その人の生活や信念など重要と考えている事柄があるかもしれません - 反復する語り:同じ出来事を少しずつ角度を変えて話している
うまく言葉にできないことを何とかしてまとめようとしているのかもしれません - 揺らぎのある語り:「帰る・帰りたい」ただ「不安も強い」のように結論が定まらない
この揺らぎは矛盾というよりは、その時々の状況の中で、気持ちが移り変わっていることやこれまでの生活の変化を余儀なくされたことによる混乱の表れかもしれません。
こう分解して考えてみると、一見関係のないような話題だと思っても、患者さんの語りに寄り添う必要があると感じるのではないでしょうか。
脱線を無理に止めるのではなく、一緒に患者さんの語りを整えていくような試みも大切になってくるかと思います。
「いまの話の中で、一番気になっていることは何ですか?」
「体調のことや生活のこと、いま困っていることは何ですか?」
「あなたがつらいことは何ですか?」
※『何がつらいですか?:サファリングについて』
これらの問いは、医療者の理解のみならず、患者さん自身の気づきにも近づくと思います。
「その話、後で詳しく教えていただけますか?先に身体のことを聞かせてください」
これは患者さんの脱線した語りを遮ったのではなく、扱っていることになると思います。
脱線や散らかりのある語りに遭遇したとき、それは患者さんにとって病いの意味づけ(説明モデルの形成)の途中なのかもしれません。
医療者は、患者さんの語りを原因→治療→結果というように、
直線的に編成しようとしてしまいますが、
患者さんの語りは、曲線的で時には途切れていたり、何層にも重なっていたり、
整理されていないことがほとんどです。
そんな整理されていない語りの中に、患者さんの病いの本質に「必要な情報」が見つかるのかもしれません。
ただ一方で、私自身の考えとしては、整理されていない語りが、
聞き手によって無理に整理されることを目指すべきではないと思います。
ナラティブは変化するものです。整理するのではなく、
常に変化するものとして捉え、語りの本質に気づくこと、
何がつらいのかをを確かめていくことが重要なのだと思います。



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