医療のユニフォームを脱ぐときー患者として医療に

内省・関わり

ここ数年、何度も経験している子どもの発熱(私自身もよく体調を崩します)。

これは、医療職に限ったことではないと思いますが、
やはり職場に申し訳なさを感じます。
そして、担当する予定だった患者さんにも申し訳なさを感じます。

病院で勤務している私は早退し、
子どもを別の病院に連れて行く。

その病院では、医療職が働いている。
それを見ると、何か複雑な気持ちになります。
専門職としての医療機関から患者さんとしての医療機関へ。
医療機関の内側から外側へ。

同じ病院なのに見える景色は全く違う。

そして、職場のユニフォームを着ている自分と私服である自分は、
服装という意味合いだけではなく、それが意味するものが、
明らかに違うということ。

責任や役割、専門性

ユニフォームは、そういう要素も含んでいる。

私服になると、
私は専門職を離れ生活者になります(そんなスイッチが入る?)。
『医師の白衣から連想されること』

自分が体調を崩したときも、
普段は医療職で、そのときは患者。
医療者と思われないように、受け答えしてみたり、
医療者ゆえの用語が出たり。

どこまでが私で、
どこからが専門職なのか。

はっきりと分けられるわけではない。

そんなとき、2つの世界を生きているんだなと感じます。
そして、その2つの世界は完全に別れているのではなく、
あいまいに重なっているんだなと感じます。

自分自身や子どもの発熱は、
その重なりを、否応なく気づかせる出来事です。

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