「先生はよくなってるって言うけど、全然そんな感じがしないんです」
リハビリの場面で、患者さんからそんな言葉をきいた経験はないでしょうか。あるいは言葉にはならずとも、「よくなっていますよ」と伝えた瞬間、相手の表情がほんの少し曇るのを感じることが。
私は内心ドキッとしてしまいます。
数値は確かに改善しています。歩行速度が上がり、握力が戻り、バランス能力も測定値では改善している。でも患者さんは、どこか納得していない。
その「すれ違い」の正体について考えてみます。
「よくなる」とは、何に戻ることか
患者さんが「よくなりたい」と言うとき、その言葉には、発病前の自分であることが多いのではないでしょうか。
階段を苦もなく昇れた頃。孫と一緒に公園を走り回れた頃。長い距離を歩いても疲れなかった足腰。患者さんにとっての「よくなる」は、しばしば具体的な記憶と結びついています。
一方でセラピストの「よくなっている」は、現在の身体機能と入院時の機能の比較です。基準点が異なります。
患者さんは「発病前の自分」を見ている。セラピストは「入院時の自分」と「今の自分」の差を見ている。同じ「よくなる」という言葉を使いながら、私たちは実はまったく異なる景色を見ているのかもしれません。
病いが人生の物語を断ち切るとき
この感覚について参考になる概念をみつけました。
伝記的断絶(biographical disruption)——イギリスの医療社会学者Michael Buryが1982年に提唱した概念です。難しい言葉ですが、要するにこういうことです。「病気になることで、自分がどんな人間でありどんな生活を送るのかという、これまで当たり前だと思っていた前提が、根本から揺らいでしまう」という体験のことです。
病気になる前、私たちは自分の身体を「意識しない」ことが多いと思います。歩くとき、食べるとき、立ち上がるとき、いちいち「足はどう動かすか」とは考えない。身体は意識の外側にあって、生活を支えてくれていました。
病いはその「当たり前」を壊します。身体が急に意識の内側に現れて、「思うように動かない自分」に直面することになります。それは単なる機能低下ではなく、「これまでの自分の物語が続かなくなること」でもあります。
仕事のこと、家庭の役割のこと、趣味のこと、老後の計画。病気を境に、これまで描いていたストーリーの前提が変わってしまう。患者さんが訴えているのは、もしかしたら身体のことだけではなく、こうした物語の断絶なのかもしれません。
「まだ戻っていない」という内側の景色
セラピストには機能の回復が見えています。でも患者さんの内側では、常に別の問題が頭をよぎります。
「この先、自分はどんな生活を送ることになるのか」「これまでの役割を、もう果たせないのではないか」「自分はこれから、どんな人間として生きていくのか」
これらは、歩行速度の改善や握力の数値では答えられません。そしてだからこそ、「よくなっていますよ」という言葉は、そこには届かない。私はそう思います。
つらさを、まず受け取ること
では、どうすればよいのでしょうか。
生活の再編成を提案することでしょうか。新たな目標を一緒に設定することでしょうか。それも大切なことだと思います。でも、その前に必要なことがある気がしています。
患者さんが「よくなった気がしない」と感じているのは、回復への意欲が足りないからでも、セラピストの言葉を信じていないからでもない。それはきっと、発病前の自分との距離を、今もはっきりと感じているからです。
そのつらさは、リハビリの成果とは別の話です。だからこそ、数値の話をする前に、「そうですよね、前と比べたらまだまだと感じるかもしれませんね」と伝えるべきかもしれません。
おわりに
「よくなっていますよ」と伝えながら、私は何を見ていたのだろうと振り返ることがあります。改善した数値を見ていたのか。それとも、この人が発病前に持っていたLIFEを見ていたのか。
患者さんの表情が曇る瞬間を感じたとき。その曇りの中に、この人のLIFEのナラティブを知る必要があるのではないでしょうか?
→ 患者の希望と現実のズレ──患者の語りを聞き目標設定するには
→ “病い”と”疾患”
→ 病いの中の「希望」
【参考文献】
- Bury, M. (1982). Chronic illness as biographical disruption. Sociology of Health & Illness, 4(2), 167–182.



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