私がナラティブや質的研究に興味を持つことができたのは一人の恩師との出会いです。
それが、故 沖田一彦先生(県立広島大学)です。
今日は、沖田先生がくれたご縁を振り返りながら、
ナラティブと質的研究について考えてみます。
高校時代|身体の話と生活の話が混じる場所

私は高校時代にサッカー部に所属していました。
足を捻挫したり、調子が悪くなったときは、母親の勤めている接骨院に通っていました。
その接骨院の待合室には、ソファーが一列に並んでいるだけで、
待合室の扉の向こうには、カーテンで区切られているベッドが4台、
待合室で待っていると扉の向こうの声がよく聞こえてきました。
「先生、今日は腰が痛くてきたんよ。明日には、娘が東京から帰ってくるから、なんとかしたいと思ってね」
「先生、今日は道が混んどったんよ。なんか、変わったことがあるんやろか」
「先生、今日は膝の調子が悪くてね。昨日たくさん歩いたせいやろか」
そこで聞こえてくるのは、身体のことだけではなく、日常のこと。
高校生の当時の僕にはそれが何を意味するのか全くわかりませんでした。
大学時代|医療人類学との偶然の接点
スポーツをしていたこと、祖父母が大好きだったことから、
そして、接骨院の空気が何だかいいなって思ったことをきっかけに、
理学療法士になりたいなと思い、県立広島大学の理学療法学科に入学しました。
理学療法に関して、
様々な分野でご活躍されている先生方との出会いがありました。
医療の世界には、まだまだわからないことだらけなんだな。
それを研究して明らかにしていくのってカッコいいなと思ったものです。
理学療法の科学性に惹かれて、仲間と楽しく勉強しました。
大学2年生になったとき、私のターニングポイントがやってきました。
県立広島大学は日本理学療法学生協会の一員であり、
その中国支部の交流会を『医療人類学』というテーマで開催することになったのです。
その時の導入として、私が初めに講演することになりました。
1年次に文化人類学の講義を受講してはいましたが、あまり頭に残っておらず、
医療人類学のことについては全く知りませんでした。
図書館に行き、波平恵美子先生の『文化人類学』の本を借り、
健康と医療についてのページを何度も何度も読みました。
『患者のコンプライアンス低下はなぜ起こるのか』
『病気というレッテル(烙印)を負うことで、病者として扱われるが、一方で社会的な援助も受けることができるようになる』
そこに書いてあることは、健康を医学だけではなく、文化、社会と結びつけていて新鮮で刺激的でした。
その後に読んだのが、交流会に講師としてきていただく依頼をしていた、
ナラティブ研究会にもご協力いただいている星野晋先生が分担執筆された『ナラティヴと医療』でした。
そこには、サファリングを軸に病気がLIFEに及ぼすことについて書かれていました。
これらの書物を読み、医療人類学という学問が理学療法にどのように関連するのか、
自分なりに考えて、スライドにまとめました。
無論、実臨床を知らない、ただの学生なので、ひどいものでした。
沖田先生との出会い|「議論しましょう」と言われた日

本番を迎える前に、あらかじめ僕のスライドをみてもらった方がいいと、
先輩が沖田先生にお願いしてくれました。
先輩たちが交流会のテーマを決めるにあたり、沖田先生に相談にいったときのこと。
話をしていたら沖田先生の電話が鳴り、その電話の相手が星野先生でした。そして聞こえてきた話の内容がとても面白そうで、『医療人類学』について教えていただき、そのままテーマになったとのことでした。
沖田先生にスライドを見ていただきたいとメールしたところ、
「了解しました。議論しましょう。」
と返信がありました。
議論しましょう。今まで、先生たちに言われたことのないワードでした。
議論するって、僕が。先生に?何を?
後日、沖田先生の研究室を訪ねました。
部屋に入るなり、沖田先生から、
「青木くんはどうして理学療法士になったのですか?どんな医療者になりたいですか?」
と訪ねられました。
私は、スポーツのこと、祖父母のこと、接骨院でのことを話し、
つらい思いをしている人を助けたいと思っていることを話しました。
そうすると沖田先生は、
足を組みかえて、唇を少し噛むような仕草をしながら、
医療と生活についての話をしてくれました。
私たち医療者は、
患者さんの言葉を丁寧に読み取り、その背景にある思いや苦悩を汲み取る必要があること。
その点で、医療人類学者は、医学に足りない視点を与えてくれること。
一方で、医療者には譲ることができない信念があること。
それが、沖田先生との出会いであり、答えのない内容を先生と議論した初めての経験でした。
卒業論文|患者の語りをどう受け取るのか
2年次の医療人類学を知った経験が強く印象に残っており、
沖田ゼミに入り、
医療者と患者の関係について研究したい
と漠然とした研究テーマを考えていました。
4年次の実習で見学をしていた際に、
ある患者さんに出会いました。
その方は、明らかに手術の適応であるぐらい重症なのに、手術を頑なに拒んでいる方でした。
単純にその患者さんのことが知りたくなった僕は、バイザーに許可をもらって、
何度もお話をさせていただきました。
病気の経緯
職場のこと
家族のこと
今までの自分の人生のこと
様々なことを語ってくれました。
私や家族・親戚とは全く違う人生を歩んできた方でした。
私は、その実習が終わったあと、
沖田先生に、
医療者が患者さんの語りをどう捉えているのかを知りたいことを伝えました。
理学療法学科の学生全員に、架空の患者さんのストーリーを提示し、
どのように考えるかについて自由記載のアンケートをしました。
そのアンケートを、『修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(木下康仁先生が考案した、データから理論を導き出す日本の質的研究法)』を使用して分析しました。
それが初めての質的研究でした。
集めたデータをできるだけ排除せずに、そのままを分析していくという質的研究にすごく魅力を感じました。
就職・大学院|わからなさに耐える研究

その後、就職し急性期病院に勤務することになりました。
実臨床は、自分の価値観や人生観とは全く違う患者さんのオンパレードでした。
そして、実習時代の感覚。
「わからない。知りたい。」という衝動に駆られる治療に遭遇しました。
それが、致死性の心室性頻拍の治療として選択される『植え込み型除細動器(ICD)植え込み術』でした。
生命予後を良くするために、医療的には正しいと思われる治療であるにも関わらず、ICD植え込み術に対する人生への影響は人によって様々でした。植え込みを行ったがゆえに、生きる意味さえも失った患者さんにも出会いました。
その影響の本質は何なのか
大学院に入学し、沖田先生と一緒に研究しました。
この研究では、一般的な質的分析法と比べて、文脈を区切ったり排除したりすることの少ない『現象学的アプローチ』での質的研究を取り入れました。
その時に出会ったのが、研究会の運営メンバーの木曽貴紀先生と大島埴生先生でした。時には、4人でインタビュー内容を分析しました。
その時の経験が自分の尺度で物事を考えない。そして、その人を決めつけないという構えにつながっているのだと思います。
その後とこれから
大学院卒業後は、沖田先生の教えでもある、
時間はかかるけれど、質的な考え方を先行させる。
ということを心がけて臨床研究にあたっています。
一番気をつけておかないといけないことは、限られた視点のみで物事を見てしまうことだと思います。
ナラティブや質的研究に限らず、日々の臨床においても、決めつけていてはダメだと常に注意しています。
ナラティブも質的研究も、学ぶだけでも得るものが大きい領域です。
残念ながら、沖田先生と一緒にナラティブ研究会や質的勉強会を運営することができませんが、
先生が繋いでくれたご縁を大切に、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
経験豊富な方も、あまり馴染みのない方も大歓迎です。
皆様と議論できる日々をとても楽しみにしています。
【参考文献】
- 波平恵美子編:文化人類学【カレッジ版】.第4版,医学書院,2021.
- 星野晋:医療者と生活者の物語が出会うところ.江口重幸、斎藤清二、野村直樹編:ナラティブと医療.金剛出版,2006.
- 木下康仁:グラウンデッド・セオリ-・アプロ-チの実践:質的研究への誘い.弘文堂,2003.



コメント