「病いの語り」をそのまま受け止める

ナラティブ・語り

血液のがんで治療を終え退院された患者さん、
外来の診察日のことです。
※架空の症例です。

医療者
医療者

Aさん(患者A)、調子はどうですか?退院後は屋外を歩いたり、外出したりできていますか?

調子はいいんですが、、、ほとんど家の外には出れていないんです。どうしても気分が乗らなくて。

医療者は知らず知らずのうちに、患者さんの言葉を医療者の言葉に翻訳して受け取ります。

一方で、
患者の病いの語りを理解するためには、その翻訳を一旦停止して、
原文のまま受け止めることが必要になってきます。

そうすることで、
医療者と患者の語りのギャップを埋めることができます。

なぜ、外出できないのか?

冒頭の二人の会話は臨床においてもよくあるやり取りだと思います。

患者さんの社会復帰を目指して介入したにも関わらず、
退院後の生活は入院前の水準まで戻っていない。

そんなことは多々経験します。

私たちは医療者ですから、
その理由を探す際、
私たちは医療の語りで翻訳します。

・運動耐容能が落ちている
・気分が落ち込んでしまっている
・感染リスクが怖くて外出できない

そんな推測をするかもしれません。

一方で、
患者さんの外出を拒む理由は他にあるのかもしれません。

・退院後で体型も変化しており、周囲の目が気になる
・参加していたコミュニティから孤立してしまった
・特に理由はなく、外に出たくない

そこには、
病気による影響を受けて入るものの、
医学的には解決しがたい内容も多く含まれているかもしれません。

無意識的翻訳

語られた言葉をこちらの図式に当てはめて理解するのではなく、相手の意図に沿って、言葉に込められている想いも汲みながら理解することは、実は相当難しい。

斎藤清二,岸本寛史.ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践.東京:金剛出版,2003:pp178-179.

医療者は医学的な観点でみるように訓練されているので、
患者さんの言葉に対して、医学的な症状や疾患概念に「翻訳」されてしまいます。

このような翻訳は、
医療者の能力として必要不可欠です。

一方で、
この医療者の翻訳を自覚していない

「無意識的翻訳」

となってしまうと、本質的な患者の「病いの語り」を理解することができません。

臨床で「無意識的な翻訳」をしてしまわないためには、
こちらの枠組みである医学的な観点から相手の言葉を聴くのではなく、
相手が意図したことを可能な限りそのまま、「原語」のまま、
聞こうとする姿勢が必要となってきます。

患者のナラティブを「原語」のまま受け取ることは可能なのか?

それでは、患者さんのナラティブ(語り)を、
「原語」のまま受け取ることは可能なのでしょうか?

答えは、ほぼ不可能だと思います。

だからこそ、
医療者の言葉に翻訳していることに、
「気づく」必要があるのです。

最近の知見では、
この「気づく」という「メタ認知(自分の無意識の一部が意識化されること)」が、
感情的知性(自分と他者の感情を認識・理解し、適切に管理・調整して、良好な人間関係や円滑な社会生活を築く能力)にも重要であるということがわかってきています。

この「気づく」、「メタ認知」というのは、
すぐに答えを出さずに立ち止まって考えることを意味します。

私たちは医療者をということを完全に排除することはできません。
だからこそ、そのことを自覚し、
少しでも患者さんの不安や苦悩そのものに接近しようとする必要
があります。

まとめ

患者さんの語りを前にしたとき、医療者はどうしても自分たちの知識や経験を通して、その言葉を理解しようとします。
それ自体は臨床に必要なことですが、その翻訳があまりにも自然(無意識)に行われると、患者さんが本当に語ろうとしていたことから離れてしまうことがあります。

だからこそ大切なのは、翻訳を急ぐのではなく、いま自分が医療者の言葉へと置き換えて理解しようとしているのではないか、と気づくことが大切です。
患者さんの語りを完全に「原語」のまま受け取ることは難しいとしても、その難しさを自覚して、なお相手の言葉に近づこうとする姿勢を持ち続けることはできるはずです。

医療者の枠組みをいったん脇に置き、患者さんがどのような背景を抱え、何を語ろうとしているのかを注意深く聞くこと。
その寄り添いが、医療者と患者のあいだにある語りのギャップを少しずつ和らげ、よりその人を理解することにつながっていくのではないでしょうか。

【参考文献】

  1. 斎藤清二,岸本寛史.ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践.東京:金剛出版,2003.
  2. 恩蔵絢子:感情労働の未来ー脳はなぜ他者の”見えない心”を推しはかるのか?.河出書房新社, 2025.

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