一人の患者と集団としての患者

内省・関わり

患者になるかどうかは患者が決める

名郷直樹 著(2007):『医師アタマー医師と患者はなぜすれ違うのか?』.尾藤誠司 編医学書院.,p188-194

上記は、医師と患者のすれ違いについて、
「医師アタマ」:自然科学としての医学に依拠する医師アタマ特有の思考過程。医療に関して、医師の頭の中では、明確で整然とした世界が構築されている。
が起因していると仮説を立てたうえでさまざまな角度から検証を行っている書籍から引用したものです。ここでいう『医師アタマ』は、個々の医師の批判ではなく、医学教育や制度の中で自然に身につきやすい思考の型として理解しています。

書籍の詳細な内容については割愛するため、ぜひご興味のある方は一読していただきたい。

自分の正しさを疑ってみる。

本ブログでは、「あたりまえ」を問い直す記事がほとんどです。
それでは、あたりまえを問い直すとき、実際にどうしたらいいのでしょうか?

『医師アタマ』の執筆者方が実践したように、

極端に考えてみる。

ことが一つの方法なのだと思います。

医療機関に行かなければ病気ではない

医師の診断のもと、疾患が特定されることで病気となります。

非常にあたりまえで至極当然のことであると思われますが、
裏を返せば、診断されなければ病気ではなく、病者にはなりません。

血圧を測らなければ血圧もわからないし、
高血圧であることもわからない。
医療機関に行かなければ診断もされないし、
病気とは名付けられにくい。

そんなふうに極端に想像を膨らませてみると、
見えてくるものがあります。

集団の患者から一人の患者だと思います。

※この節は受診を勧めない意図ではなく、医療が『診断』を通して世界を切り取る仕組みを考えるための思考実験です。症状が続く場合は受診を検討してください。

医療の「あたりまえ」

医療におけるエビデンスは統計的な根拠であり、
確率論であるがゆえに、
目の前の患者が実際にどうなるかについては、
教えてくれません。

それでは、そもそも医療とは何なのか。
実際に人々の役に立っているのか。
人間はこうあるべきであるという規範の中で成り立っているものではないか。

それが「あたりまえ」を問い直す視点です。
あたりまえを問い直すことは、

実は、見当違いに見える問いが、いちばん近いところに触れている。

そんな感覚を覚えるときがあります。

つまり、一人の患者さんにとって

どんな影響を与えているのだろうか

そんな視点を与えてくれている感覚です。

思い切って「あたりまえ」を考えてみる

ぜひ、何か「もやもや」したり、臨床で悩んだりしたとき、
思い切って「あたりまえ」を疑ってみてください。

それが正しいか正しくないかは別にして、
答えのないことを考えてみることで、
見えてくることがあると思います。

医療が役に立っているのかを考えることのできる余裕のある世界は、
医療が役に立たないといけない社会に比べて、幸せなことであると、

『医師アタマ』の中に書かれています。

私自身も、そんな社会の中で今一度考えていきたいと思っています。

※本稿は筆者の経験にもとづく個人の見解です。個別の医療判断を目的としたものではありません。

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