「良心」があるほど苦しくなる—感情労働としての看護

読書メモ

本ブログには、理学療法士だけでなく看護師の方の訪問もあります。患者さんの苦しみを大切にするのと同時に、医療従事者の苦悩を知ることもまた大切だと感じています。
武井麻子「感情労働と看護」(2002)を読むと、その苦悩が個人の努力や性格だけではなく、現場で求められる感情の扱い方と深く関わっていることが見えてきます。

良心と失格感の近さ

論文では、処置や記録に追われる現実の中で、看護師が患者さんとの関係に困難を抱えやすい状況が述べられています。その延長で、「看護師としての良心」をもっているほど、むしろ「看護師失格のように思えることばかり」だと記されます。

丁寧であろうとするほど、誠実であろうとするほど、「できていないこと」が増えていくように感じてしまいます。これは能力不足というより、時間・人員・役割といった忙しさの中で、そう感じやすい条件がそろっているからだと思います。
また論文は、看護には感情規則があり、期待される感情管理ができないと「失格」の烙印が押されるとも述べています。つまり、良心が強い人ほど自分を責めやすい仕組みが生まれやすい、ということでもあります。

患者優先と看護師の語りの不足

論文では、現場には「看護師も苦しいかもしれないが、患者さんの苦しみのほうがもっと大きい」という論理が強く、看護師が自分の感情や立場を語ることに抵抗が生まれやすい、と述べられています。

ここで重要なのは、これは単なる遠慮ではなく、仕事の規範として、そうせざる負えないことです。患者さんの前で弱音を言いにくい。職場でも「患者さんが大変なのだから」と自分を後回しにする。すると、苦悩は「あるのに、語れない」ものになっていきます。
そして、語れない苦悩は共有されにくく、共有されない苦悩は個人の問題にされやすいです。この連鎖が、現場のしんどさをさらに深くしてしまうのだと思います。

二者択一の回避

論文の後半で強調されるのは、看護者か患者か、どちらが大事かという二者択一の枠組みで語らないことです。医療者も患者も、状況によって互いに傷つける側にも、傷つけられる側にもなりうると述べられています。

この視点は、看護師の苦悩を語ろうとしたときに起こりがちな、「それでも患者さんが最優先でしょう?」という結論に、注意を与えてくれます。
そして論文は、看護師が大切にされれば患者も大切にされること、さらに看護師の気持ちが大切にされなければ患者の気持ちも大切にされるはずがないことを述べています。看護師の感情を大切にすることは、患者さんと対立する話ではなく、ケアの前提でもあるのだと思います。

まとめ

この論文の大切な点は、「看護師もしんどい」という主張に留まらず、その苦しさがどこから来て、なぜ語りにくく、どうして二者択一に寄りやすいのかを、概念として示しているところだと思います。
良心が強い人ほど苦しくなりやすいこと。患者優先の倫理が、看護師の苦悩の言語化を難しくしてしまうこと。「患者か看護師か」ではなく、両者が大切にされる条件を考える必要があること。
看護師の感情労働に関しては、多少の違いはあるものの、多くの医療者にとって同様のことが言えると思います。

やはり、看護師を含めた医療者が自分の苦悩を語ってよい場所をどう確保するか、という問題を強く感じました。

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【参考文献】

  1. 武井麻子.感情労働と看護.保健医療社会学論集.13(2).2002.

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