恩蔵絢子著「感情労働の未来ー脳はなぜ他者の“見えない心”を推しはかるのか?」(2026)の中で、
「共感=人間理解」という理解では、うまくやっていけない可能性を指摘しています。
共感することは人とわかりあえたという感じのすることであり、「共感=人間理解」と思う人が多いのだが、それだけではうまくやれないこともあるのだ。もしも、共感できなければ、人を理解できないというのならば、全く同じ気持ちになれる人など世界に何人いるだろう?
恩蔵絢子:感情労働の未来ー脳はなぜ他者の”見えない心”を推しはかるのか?.河出書房新社, pp90,2026.
共感は、相手に近づくための重要な契機ではありますが、それだけで人間理解が成立するわけではありません。なぜなら、「わかった気になること」と「相手を理解すること」は同じではないからです。むしろ、共感によって生まれた一致感にそのまま留まることは、相手の経験を自分の感覚で置き換えてしまう危うさもあります。恩蔵はその点を踏まえ、人間理解には、相手に共感しつつも、そこから少し距離を取り直す動きが必要だと示しています。
人間理解の根本は「共感」である、大切なのは、
「相手に共感したうえで、切り離す、という2段階構造」であると述べています。
この、切り離すという行為は、人類学における「相対化」に類似しているものと考えられます。
すなわち、自分の感覚で相手をわかったつもりになるのではなく、相手を自分とは異なる文脈をもつ存在として見直していくことです。
相手を自分と同じ文脈で捉えるのではなく、自分とは異なる前提をもった存在として受け取り直すことです。
共感は理解の入口にはなっても、理解そのものを保証するわけではない。
むしろ、共感のあとに自分の理解を振り返り、医療者としての「あたりまえ」を一度外して見つめ直すこと(相対化)が重要です。
私自身は、共感できるかできないかということ自体も一度外してみて、
患者さんの行動が理解できない場面に遭遇した際に、
切り離して考える。相対化して考えることが重要だと思っています。
そうすることで、
人間理解に少しでも繋がっていくのではないでしょうか?
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【参考文献】
- 恩蔵絢子:感情労働の未来ー脳はなぜ他者の”見えない心”を推しはかるのか?.河出書房新社, 2025.



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