苦悩することは、創造性の源泉であるー医療専門家サファリング論

苦悩することは、創造性の源泉である=医療専門家サファリング論 読書メモ

リハビリの仕事をしていると、
「もっとよくしてあげたい」という気持ちと、
「これ以上は手が届かない」という現実のあいだで、もどかしさを感じることがあります。
患者さんの退院後のことが心配で、仕事が終わっても頭から離れない。
それは、専門家としての「適切な距離」を超えているのかもしれません。
でも同時に、そのように考えることが、日頃の臨床の糧になっているとも感じています。

そんなことを考えながら、文化人類学者・浮ヶ谷幸代氏の論文「医療専門家のサファリングとその創造性」(『文化人類学』77巻3号、2013年)が非常に参考になりました。


論文情報

浮ヶ谷幸代「医療専門家のサファリングとその創造性——患者、利用者、依頼人との距離感という困難を越えて」
『文化人類学』77巻3号、pp.393–413、2013年
DOI:https://doi.org/10.14890/jjcanth.77.3_393


サファリングとは何か

論文の中で浮ヶ谷氏が参照するのが、臨床医エリック・キャッセルの言葉です。
キャッセルによれば、サファリングとは「人が人としての全体性を損なわれたと感じたとき」に引き起こされるものだといいます。
愛する者の死、深い裏切り、記憶喪失、生活の糧を失うことによる孤立感。
そうした経験が苦悩を生み出します。

これは患者だけの問題ではない、と浮ヶ谷氏は主張します。
医療専門家もまた苦悩する。
しかし現代の医療システムは、専門家に「質実剛健で強固な精神の持ち主であること」を求め、自らの苦悩を隠すことを強いてきました。
1970年代以降の医療批判は専門家の権力や権威を批判してきましたが、
専門家自身が抱える苦悩には目を向けてこなかった——これが、浮ヶ谷氏の論文の出発点です。


「界面」に立つ三人の専門家

論文の核心は、三人の医療専門家の語りです。いずれも、専門家として求められる「専門領域」と、患者・利用者・依頼人の「生活領域」の界面に立ち続けることで苦悩が生まれています。

一人目は、北海道・浦河赤十字病院のPSW(精神保健福祉士)、高田大志氏です。
〈べてるの家〉との協働により精神障害の早期退院を支援するなかで、高田は「担当制ではなく分担制をとる」という方針を編み出しました。
一人の専門家が患者を「担当」することで生まれる過度な自己責任感や、「優秀な患者さん」を作ろうとしてしまう専門家の傲慢さを避けるためです。

さらに高田が語るのが、「公私をあえて曖昧にしておく」というスキルです。
浦河のような小さな町では、仕事を終えてスーパーで買い物をしていても患者さんと出会います。「オン/オフを明確にすると、浦河ではなかなか生活できません。あえてこれは曖昧にしておくということを行っています」と高田は語ります。
これは単なる「なあなあ」ではなく、〈べてるの家〉が体現する「公私混同大歓迎」という哲学から生まれた、地域に根ざした知恵なのです。

二人目は、千葉県の地方都市にある糖尿病専門クリニックで13年以上働く看護師、飯田直子氏です。
飯田のサファリングは「患者との距離をいかにとるか」ということに凝縮されています。

「患者との信頼関係を築きたい。でも背負いきれないこともある。その境界線はどこにあるのか。いつも考えながら患者と関わっているが、いまだに答えが出ない」

この正直な言葉は、多くの医療者が胸の奥に抱えているもどかしさを代弁しています。
同じ患者を担当し続けることで信頼は深まりますが、「患者の人生を背負うことはできない」という重さも増していきます。
飯田が編み出した術の一つは、担当看護師を変えながら複数のスタッフで情報を共有し、「距離を固定せずに変動させる」ことでした。

三人目は、長野県松本市のNPO法人ライフデザインセンター(LDC)で成年後見人を務める久島和子氏です。後見人が抱える困難は二つあります。
まず、財産管理という職務を通じて「他人」が依頼人の信頼を勝ち取ることの難しさ。
そして、信頼関係を築いた後に今度は認知症が進む依頼人に寄り添い続けるという、第二の困難です。
「信頼性を得ることも大事だが、きちんとした後見人としての距離を保つ仕事のスタンスを取るのが、今非常に難しいなと思いつつ、この仕事をやっています」という久島の言葉は、「距離をとる」ということがいかに深く困難さをもっているのかを示しています。


「創造の病い」——苦悩は創造性の源泉

浮ヶ谷氏は、こうした苦悩をただ否定したり排除したりすべきものとは見なしません。
ここで登場するのが、精神科医アンリ・エランベルジュの「創造の病い」という概念です。

エランベルジュはフロイトやユングが独自の理論を生み出したのは、
彼らが「精神の逸脱状態や心理的な不安、孤立感など神経症的な病い」を経験していたからだと論じます。
つまり、病いや苦悩に真摯に向き合うことが、新たな知識や実践を生み出す契機となる。
「創造の病い」とはそのような視点です。
浮ヶ谷氏はこの発想を援用し、医療専門家の苦悩もまた、創造性の源泉になりうると主張します。

高田が編み出した「公私をあえて曖昧にしておく」スキル、
飯田が培った「距離を変動させる」術、
久島が体現する「依頼人を丸ごとの人間として捉える」実践。

これらはいずれも、苦悩と向き合う中から生まれた、現場固有の知恵です。
浮ヶ谷氏はこれを「サファリングの創造性」と呼びます。
苦悩は否定されるべきものでも排除されるべきものでもなく、苦悩と向き合うことこそが、定型的なケアを超えた根源的なケアへの道を拓く——これが論文の結論です。


読み終えて

この論文を読んで、私が臨床で感じてきた「適切な距離のあいまいさ」が少し違って見えてきました。
苦悩することは、専門家として失格のサインではありません。
むしろ、患者の生活領域に引き込まれながらもその「界面」に誠実に立ち続けようとするとき、苦悩は必然的に生まれます。
そしてその苦悩を抱えながら工夫を重ねることこそが、新たなケアの術を生み出すのだということを、この論文は教えてくれます。
そして、臨床で働く私たちにとって、確かなものであると感じさせてもらえました。

「苦悩する専門家」というイメージは、まだ現場では歓迎されていないかもしれません。
浮ヶ谷氏の論文は、その苦悩をこそ大切に抱えてほしいと、丁寧に論じています。

もっと多くの医療者に医療者の苦悩の希望への可能性が広がることを願っています。


サファリングというテーマについては、このブログでもこれまで何度か考えてきました。
サファリングという言葉に馴染みのない方々も多いと思います。

サファリング(suffering)とはそもそも何かを整理した記事や、「何がつらいですか?」というサファリングへのアプローチ、そして医療者自身の苦悩をナラティブで語ることの意味を考えた記事とあわせて読んでいただけると、よりわかりやすいかもしれません。

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