病気になるのは、患者さんだけじゃない──家族もまた、当事者である

病気になるのは、患者さんだけじゃないー家族もまた、当事者である 内省・関わり

「焦らずしっかり治していきましょう」

私はこれまで何度も口にしてきました。
その言葉が本心であることは間違いありません。
一方で、そう言いながらも、どこかで複雑な気持ちになることがあります。

ある患者さんを担当したときのことです。
その方は家族の中心として、経済的な柱を担ってきた方でした。
不慮の事故による外傷であり、手術や入院による治療が必要です。
ただ、家族の生活に与える影響を考えると、「ゆっくり休んでください」という言葉がすぐには出てきませんでした。


病気になることの「広がり」

病気になるということは、患者さん一人だけの問題ではありません。
以前、このブログで「病いと疾患」の違いについて書きましたが、病気は医学的な診断を超えて、その人の生活全体に波及するものです。
そしてそれは、患者さん本人の生活だけでなく、家族の生活にまで及びます。

患者さんが大黒柱である場合、入院は家族全員の日常を一変させます。
収入が途絶え、家事や育児の分担が崩れ、子どもたちの生活にも影響が出る。

「早く退院しなければ」
「家族に迷惑をかけている」

そういう言葉を口にする患者さんは、少なくありません。
病気になり生活の再編成が必要になったとき、
医療的な回復への不安だけでなく、家族への責任感と罪悪感が入り混じっています。


「しっかり治しましょう」という言葉の重さ

医療者は頻繁に「焦らず治すことが一番です」と伝えます。
まちがってはいません。
でも、患者さんによっては
「なんだか他人事のように行ってる気がして、理解してもらえない。」と感じるかもしれません。

病いの語りをそのまま受け止めるという視点から考えると、
患者さんが「早く帰らなければ」と語るとき、それは回復への焦りだけを意味しているわけではありません。
家族のこと、仕事のこと、お金のこと、
そういったすべてが混ざり合った語りです。
言葉の先になる、多くの背景を加味したうえでの対応が医療者の関わりとして求められている気がします。

また、医療者が患者さんの「どのように生きるか」に関わることの難しさも現れます。
治療の方針を決めるのは医療者ですが、退院後の生活をどう立て直すかは、患者さんと家族が担うことです。
私たちにできるのは、その生活の文脈をなるべく丁寧に理解しながら、一緒に考えることではないでしょうか。


まとめ:家族も「当事者」として見えているか

病気の当事者は誰か

視野を広げて、このことを理解する必要があると思います。

家族もまた、病気の当事者です。
患者さんの背後に、同じように苦悩を抱えている人たちがいることを理解すること。
患者さん自身の語りをより深く聞くことにもつながるのだと思います。

「しっかり治しましょう」という言葉をかけつつも、
その言葉を言いながら感じる複雑さも、大切にする必要があるのではないでしょうか?

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