なぜ医療者にプロフェッショナリズムが必要なのか——「信頼するしかない」という関係の重さ

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「先生のことを信じるしかないですから」

ある患者さんの言葉です。笑顔で、でもどこか諦めのような印象を受けました。

その言葉を聞いたとき、私は違和感を感じました。「信じてもらえている」という安心感ではなく、「信じるしかない」という言葉に思ったのです。


プロフェッショナリズムはなぜいつも語られるのか

医療者の養成課程では、「プロフェッショナリズム」という言葉がほぼ必ずと言っていいほど登場します。医師・看護師・理学療法士、どの職種の教育カリキュラムを見ても、知識や技術と並んで、プロフェッショナリズムがアウトカム(目標として達成すべき能力)として掲げられています。

宮田靖志(2012)は日本プライマリ・ケア連合学会誌への寄稿のなかで、アウトカム基盤型教育——カリキュラムの終了時に備えておくべき能力をあらかじめ設定し、そこから逆算して教育・学習を設計する考え方——において、プロフェッショナリズムがほぼすべてのプログラムに共通して取り上げられることを指摘しています。

なぜ、どの職種でも、どの時代でも、プロフェッショナリズムが語られ続けるのでしょうか。

きっとそのヒントは、「社会契約」という考え方にあると思われました。


「信頼するしかない」という非対称性

社会契約モデル(social contract model)——これは政治哲学に起源を持つ概念ですが、医療のプロフェッショナリズムを考えるうえで重要な視点を提供してくれます。簡単に言うと、「患者さんと医療者のあいだには、根本的な非対称性がある」という考え方です。

患者さんは、医療者の知識や技術を自分では評価することができません。「この理学療法士のアプローチは正しいのか」「この処置は本当に必要なのか」——専門的な判断の妥当性を、素人の立場から見抜くことは、ほとんどの場合、不可能です。だからこそ、患者さんは一方的に医療者を信頼するしかない。

冒頭の患者さんの言葉は、まさにこの構造を正直に語っていたのだと思います。

この非対称性があるからこそ、専門職集団(プロフェッション)には社会から特権が与えられます。自分たちで基準を設定し、仲間を評価し、仕事を自律的に行う権限です。そして、その特権を与えられた側には、プロフェッショナリズムで患者さんや社会に応答する倫理的責任が生まれる——これが社会契約モデルの核心です。

ちなみに「プロフェス(profess)」という語の起源には、「信仰を神の前・人々の前で告白する」という意味があるそうです。人々の信頼を裏切らないことを、公に誓うということ。その重みが、プロフェッショナリズムという言葉の底に流れています。


エキスパートとプロフェッショナルの違い

宮田(2012)はこんな区別を紹介しています。社会のニーズに言及せず、自分の持つ知識や技術を単純に適用することを繰り返すだけの者は「単なるエキスパート」であり、プロフェッショナルではない、と。

次の一文は医療者をドキっとさせます。

技術を磨くことは大切です。でも技術の精度を上げることと、プロフェッショナルであることは、同じではありません。公共の善のために働くという意識——患者さん個人への責任だけでなく、社会全体への責任——を持ち合わせていなければ、真のプロフェッショナルとは言えない、というわけです。

理学療法士として、自分が「エキスパート」にとどまっていないか、と問われると、正直、自信を持って「違う」とは言えない場面が思い浮かびます。


省察(振り返り)がなぜ必要なのか

プロフェッショナリズムを育むために、もう一つ論文が強調しているのが「省察的実践(reflective practice)」——自分の行為と決断を振り返り続けること——の重要性です。

臨床の現場は、教科書通りに問題が解けるほど単純ではありません。不確実性、価値観のぶつかり合い、予測のつかない展開——そういった混沌とした状況に毎日向き合っています。そのなかで、単に「次はもっとうまくやる」という反省(シングル・ループ学習)を超え、「なぜこの状況が生まれたのか」「自分の前提は正しかったか」と問い直すような深い振り返りが、プロフェッショナリズムを根から育てていくと言われています。

この深い振り返りは、変容学習(transformative learning)とも呼ばれ、自分の価値観そのものを更新するような学びのプロセスです。難しく聞こえますが、要するに「経験を通じて、ものの見方ごと変わっていく」ということです。

冒頭の患者さんの言葉が私の心に残ったのも、もしかしたら、そういう変容のきっかけだったのかもしれません。「信じてもらえている」と受け取っていた私が、「信じるしかない」という非対称性の重さに気づいた——それが、プロフェッショナルになりたいという自分に響いたのかもしれません。


おわりに

「技術があれば良い医療者である」——そう信じている部分が、私にもあります。でも社会契約という視点から考えると、技術はプロフェッショナリズムの一部にすぎないのだと気づかされます。

患者さんが「信じるしかない」という立場に置かれているとき、私たちはその信頼に本当に応えられているか。応えようとしているか。

その問いを持ち続けることが、プロフェッショナリズムの出発点なのではないでしょうか。

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【参考文献】

  1. 宮田靖志(2012)「プロフェッショナリズムと省察的実践」『日本プライマリ・ケア連合学会誌』35(1), 70-75.

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