言葉を鵜呑みにするな——シニフィアンとシニフィエが教えてくれること

言葉を鵜呑みにするな——シニフィアンとシニフィエが教えてくれること 内省・関わり
言葉を鵜呑みにするな——シニフィアンとシニフィエが教えてくれること

「もう無理かもしれない」

患者さんからそう言われたとき、あなたはどんなふうに受け取りますか。

「諦めてしまっている」「気持ちが後退している」——そう理解するのは、自然なことかもしれません。私もそう感じることがあります。

でも、大学時代に恩師から「言葉を鵜呑みにするな」と注意されたことを思い出します。

シニフィアンとシニフィエ——記号が持つふたつの層

これはスイスの言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールが提唱した概念です。

ソシュールは、言葉(記号)をふたつの側面から捉えました。ひとつはシニフィアン(意味するもの)——耳に聞こえる音や、目に見える文字そのもの。もうひとつはシニフィエ(意味されるもの)——その言葉が指し示す概念です。

ソシュールは「言葉には共有された概念がある」と示しました。「犬」というシニフィアンには、言語を使う人々が共通して持つ「犬というもの」の概念(シニフィエ)が結びついている。でも、その概念はいつも、その人の経験や人生の文脈に乗って届く——だから同じ「もう無理」でも、意味が違う、、、可能性がある。

「もう無理かもしれない」のシニフィエ

この視点を持つことが重要になる時があります。

「もう無理かもしれない」というシニフィアンを受け取ったとき、私たちはつい「諦め」「後退」という負のシニフィエを重ねてしまいます。しかしながら、その人の内側にあるシニフィエは、まったく別のものかもしれません。

限界をきちんと認めた上で、新しいことへ踏み出そうとしている。「もう無理」という言葉に、前進のプラスの意志が宿っていることがあります。あるいは、ずっと無理をしてきた自分を、初めて労わろうとしている言葉かもしれません。

つまり、言葉の表面だけを受け取ることで、その人が本当に伝えようとしていたことを、聞き逃してしまうことがある。恩師の「鵜呑みにするな」は、そういう意味だったのだと思います。

臨床だけではない

これは、臨床の場に限った話ではないと感じています。

職場の同僚が「わかってます」と言うとき。友人が「もういい」とつぶやくとき。家族が「別に何もない」と答えるとき。——シニフィアンは届いていても、シニフィエはどこかすれ違っていることが、日常の中にたくさんあります。

「犬」という単純な名詞ですら、その人の経験や文脈によって浮かぶ姿が違うのです。「つらい」「うれしい」「無理」といった言葉が、どれほど多様なシニフィエを持ちうるか——考えると、複雑さに気づきます。

図々しいかもしれないけれど

では、どうすればよいのでしょうか。

私は少し図々しいかもしれませんが、確認することが大切だと思っています。「今の言葉は、こういう意味ですか?」と、直接聞けないにしても、まずは自分のシニフィエを意識してみること。相手のシニフィエに近づこうとする姿勢——これが「寄り添う」ということの一つになるのだと思います。

言葉を受け取ることは、案外難しい。シニフィアンは届いても、シニフィエが簡単にはわからない。そのわからないという距離がわかるという距離に近づいていけるように関わりっていくことが大切なのだと思います。


「病いの語り」をそのまま受け止める
医療者と患者の「ずれ」はなぜ生まれるのか

なお、ソシュールの概念については、一介の医療職として学んだ範囲での理解をもとに書いています。厳密な言語学的解釈とは異なる部分があるかもしれません。ご専門の方はどうぞ寛大にお読みください。

【参考文献】

  1. 富増章成(2024).「3分でわかる!ソシュール『一般言語学講義』」ダイヤモンド・オンライン. https://diamond.jp/articles/-/338469 /
  2. ソシュール(小林英夫訳)(1972).『一般言語学講義』岩波書店.

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