リハビリテーション専門職の多くは、担当制をとっています。担当するセラピストが決まり、その患者さんの評価から目標設定、介入、退院後の方針まで、継続して関わる仕組みです。
これは患者さんにとって、関係を築きやすいという利点があります。一方でセラピストの側からすると、担当という立場が持つ責任の重さを、常に感じながら働くことになります。しかもリハビリテーション専門職は、比較的若い年齢層のスタッフが多い。経験が浅いうちから、患者さんの今後に関わる重大な判断を担う場面が来るのです。
リハ室で感じた、最初の不安
リハビリテーション室では、複数の患者さんが同時に治療を受けることが多くあります。つまり、患者さんにとって他のセラピストの様子や関わりが自然と目に入る環境でもあります。
新人のころ、自分より経験を積んだ先輩の歩行介助や動作指導を横目に、「あんなふうにはまだできない」と感じることが何度もありました。技術が追いついていない。知識も足りない。それでも自分が担当として、患者さんの前に立つ。そのたびに、「この方に十分な治療を提供できているのだろうか」という不安がありました。
慣れてきたころに生まれる、別の不安
経験を重ねるうちに、できることは増えていきます。歩行介助の感覚も、患者さんの状態を見立てる目も、少しずつ育っていきます。
でも不思議なことに、不安が消えるわけではありません。今度は別の形の不安が生まれてきます。「技術は上がったかもしれないが、新人のころのように患者さんに寄り添えているか」という感覚です。
新人のころは、できないことが多かった分、患者さんの言葉や表情を必死に受け取ろうとしていた気がします。慣れてきた今、その必死さが薄れていないか。効率よく関われるようになった反面、大切なものを見落としていないか。そんなことを、ふと思うことがあります。
不安の「形」が変わるだけで、消えることはない
新人のときは技術への不安。経験を積むと、関わりの質への不安。どちらも根っこにあるのは、「この患者さんに、自分は十分に応えられているか」という気持ちではないかと思います。
リハビリテーションという仕事は、おそらく「完璧にできた」と言い切れる日が来ない仕事です。完璧だと思うこと自体が間違いであるとも言えます。患者さん一人ひとりの状態は違い、求めるものも違い、セラピストに期待することも違う。だからこそ、どのキャリア段階にいても、悩みや不安は形を変えながら続いていくのだと感じています。
おわりに
担当として患者さんに向き合うということは、その人の回復や生活に責任を持つということです。それは簡単ではないし、軽くもありません。
一方で、その重さをずっと感じながら働いているセラピストが、医療現場には多くいます。不安が消えないのは、弱さではなく、担当としての誠実さの表れなのかもしれません。不安を持ちながらも、患者さんの前に居続けること——そのこと自体が、すでに誠実な関わりの始まりなのではないかと感じています。多くの方が同じようなことで悩んでいるのだと私は思います。


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