2026-07

読書メモ

「耐える」の先に、共感がある——帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』を読む

答えの出ない事態に耐える力、ネガティブ・ケイパビリティ。帚木蓬生は、この能力を単なる我慢ではなく「対象の本質に迫り、共感に至る手立て」だと述べています。わからなさに持ちこたえることと共感の関係を考えます。
ナラティブ・語り

「私、よくなってますかね?」に、うまく答えられない——予後予測と、その人の物語

「私、よくなってますかね?」——セラピストなら必ず聞かれる言葉に、いつも一瞬、言葉に詰まります。予後予測という一般論と、目の前のその人の物語。NBMの視点から、この言葉への向き合い方を考えます。
文化・医療人類学

セルフヘルプ・グループに、医療者はどこまで関わるべきか——患者会に参加して考えたこと

医療スタッフとして患者会に参加すると、語り合いの文脈が「医療」に偏っていく——その経験から、セルフヘルプ・グループと専門家の距離について考えます。関わることだけが支援ではないのかもしれません。
文化・医療人類学

病いは、個人のものではない——共同体で病気に向き合うという視点

多くの社会では、病気は個人ではなく、家族・親族・地域社会の問題として扱われてきた——浮ヶ谷幸代『病気だけど病気ではない』の記述を手がかりに、一対一の閉じた治療関係を少し外から眺めてみます。
文化・医療人類学

カンファレンスで意見がまとまらないのはなぜか——職業文化が構築する、それぞれの「患者」

医学は患者を「疾患の場」として、看護学は「ニーズのパッチワーク」として構築する——同じ人間を見ているようで、見ている対象は違う。職業文化の視点から、セラピストの立ち位置と多職種カンファレンスでのすれ違いを考えます。
ナラティブ・語り

結末のない語りを、そのまま聞く——ネガティブ・ケイパビリティとナラティブ

物語にはポジティブな結末があるはず——その前提が、結末のない語りをそのまま受け取ることを難しくしています。フランクの混沌の物語とネガティブ・ケイパビリティの交差点から、語りに耳を傾けることの意味を考えます。
内省・関わり

社会復帰というジレンマ——「こうあるべき」を手放すこと

リハビリテーションの目的は社会復帰——でも理想的な結果に導けないことも多くあります。そのジレンマはどこから来るのか。「こうあるべき」を手放し、その人なりの復帰の形を一緒に探す関わりについて考えます。
内省・関わり

ネガティブ・ケイパビリティ——答えを急がず、患者さんの語りに耳を傾ける

答えの出ない事態に耐える力、ネガティブ・ケイパビリティ。患者さんの語りに耳を傾けることと深く通じるこの概念を手がかりに、自分の偏った主観を手放して関わることの意味を考えます。