「この患者さん、なんか苦手かも」と感じたとき、立ち止まれているか

「この患者さん、なんか苦手かも」と感じたとき、立ち止まれているか 内省・関わり

臨床の現場には、言葉にしにくい「なんとなく」が溢れています。

「この患者さん、なんか話しかけにくいな」
「この家族、毎回要求が多くて困る」
「このカンファレンス、今日もうまくいかなそうだ」

こうした感覚は、経験を重ねた専門職ほど「なんとなく当たっている」ことがあります。その一方で、後から振り返ると「あの判断、自分の先入観が強かったな」と気づく場面も、少なくないはずです。

ラベルを貼っていた、と気づいた日

ある日、退院調整が難航している患者さんがいました。

こちらの説明を聞いているようで聞いていない。家族との調整もなかなか進まない。気づけば自分の中に、「この人は協力的でない」という印象が出来上がっていました。

でも、ふと立ち止まって考えてみたとき。

「自分は何を理由に、そう思っていたのだろう?」

  • 忙しい中で、自分のペースで動いてほしかった
  • 以前に似たケースがあって、そこから推測していた
  • 「指示通りに動く=協力的な患者さん」という、自分の中の暗黙の基準があった

その患者さん自身の事情や気持ちより先に、私の都合や過去の経験が、判断に影響していたんです。そう気づいた時、その方への見方を変える必要があることに気づきました。

「なんとなく」の正体を問うこと

臨床では、判断を止めるわけにはいかない場面がほとんどです。リスク管理、方針の決定、他職種との調整——立ち止まっている余裕がないのは、重々承知です。

でも、「判断した後で、その判断を振り返る」ことは、できるのではないでしょうか。

「なぜ私は、あの患者さんを苦手だと感じたのか」
「どんな不安や責任感が、あの見立てに影響していたのか」

そうした問いを持つだけで、次に似た場面が来たとき、少しだけ視点が広がります。

この問いを、もっと深く考えたくなった方へ

じつはこのような「いったん判断を括弧に入れる」という態度には、哲学的な裏付けがあります。

現象学の概念であるエポケー(判断停止)です。

先入観をあえて脇に置いて、目の前の体験そのものを観察する——そのことの意味と、臨床への応用を、もう少し丁寧に書いた記事があります。

👉 判断を急ぐ臨床で、いったん括弧に入れるということ

「なんか苦手」と感じる患者さんや場面があったとき、ぜひ読んでみてください。そのもやもやを、少し違う角度から見るヒントになるかもしれません。

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