「病院がホームで、自宅がアウェイ」──患者さんの語りが変わる場所と相手

「病院がホームで、自宅がアウェイ」──患者さんの語りが変わる場所と相手 ナラティブ・語り

患者さんは、相手によって話し方を変えます。

医療者の前では「膝の痛みが強くなっています」「夜寝てる間に痛みが増えました」と、どこか医学的な言葉で語る。でも同じ患者さんが、家族や知人の前では「最近、階段がしんどくて」「夜も眠れなくてね」と、生活の言葉で話す。

一方で、医療者に向けての語りには何か曖昧なところがあります。患者さんは医療者ではないため、医学の言葉と生活の言葉が混ざり合い、「先生、この薬を飲んでから、料理するときに手がふるえてしまって」というように、生活の中に医学が溶け込んだ語りになる。医療者はその逆に、生活の出来事を医学の言葉に翻訳して受け取る。

こうした語りの変化は、場所によっても起きます。「医療者にとって、病院はホームで、患者さんの自宅はアウェイ」と表現する方がいました。

私自身は病院勤務であり、医学の語りの中にいることに違和感を感じにくい現状です。でも、そういった環境こそが患者さんにとっては特別で、異常なのだと思います。


表舞台と裏舞台

社会学者のErving Goffmanは、人間の行動を「演劇」に見立てて分析しました。著書『行為と演技』(1959年)の中で彼は、人は場と相手によって「表舞台(front stage)」と「裏舞台(back stage)」を使い分けていると述べています。

表舞台とは、他者に見られている場面のこと。そこでは役割を意識し、振る舞いを整えます。裏舞台は、他者の目がない場面。素の自分に戻れる場所です。

この概念を患者さんの語りに当てはめると、興味深い考察ができます。

医療者の前は、患者さんにとって「表舞台」です。「患者」という役割を引き受け、医学的な語りに近づこうとする。病院という場所がそれをさらに強化します。白衣があり、カルテがあり、医療機器がある。その空間に入った瞬間、患者さんは「患者としての自分」を演じ始めるのかもしれません。

一方、家族や知人の前は「裏舞台」に近い。そこでは「患者」という役を一度脱いで、生活者としての語りに戻れる。


病院がアウェイであるということ

「医療者にとって病院はホームで、患者さんの自宅はアウェイ」という言葉は、この非対称性をよく表しています。

医療者は毎日病院にいます。そこは毎日の慣れた場所であり、使い慣れた言葉が飛び交う空間です。患者さんはその場に「来る」側です。慣れない場所、慣れない言葉、慣れない役割。それが病院という環境です。

私自身は病院勤務であり、医学の語りを中心にすることへの抵抗はありません。でも、それは私がその言語を何不自由なく使えるからです。患者さんにとって、病院の言語は外国語に感じるかもしれない。

表舞台では、人は「期待される答え」を返しやすくなります。患者さんが医療者の前で「大丈夫です」と言うとき、それは本当に大丈夫なのか、それとも「患者として期待される答え」を返しているのか——その区別は、私たちが思っている以上に難しいのかもしれません。


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医学的記載とナラティブの記載


【参考文献】

  1. Goffman, E.(1959). The Presentation of Self in Everyday Life. Doubleday.

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