最新の知識を学ぶことは、医療者としての当然のことだと言われます。でも「学び続けられる環境」は、どれだけ整っているのでしょうか。
この当たり前のように語られる「学び続けること」が、実はとても複雑な条件の上に成り立っているかもしれない——そう感じさせる研究があります。
オーストラリアのコメディカルが語った現実
Brandenburg と Ward(2022)は、オーストラリアの医療機関に勤める57名のコメディカル臨床研究者に対して、インタビューを中心とした質的研究を行いました。対象者は言語聴覚士(40.4%)や理学療法士(28.1%)など8職種にわたります。
この研究の舞台はオーストラリアです。日本とは医療制度も文化も異なります。ただ、そこで見えてきた構造的な問題は、地理を超えて、医療職全般に通じる何かを含んでいるように思います。
研究が明らかにしたのは、こういうことでした。研究に関わりたいという内発的な動機は、参加者の多くが持っていた。しかし、それを支える外発的なインセンティブ——給与、昇進、キャリアの構造——が著しく未発達だったのです。
参加者の言葉が、その実態を端的に示しています。
「研究職に行くなら、給与が下がります。経済的にも、職業的にも、今のままでいる方が良い。」
「PhDは学術界では価値がありますが、病院システムでは価値がありません。」
「キャリア構造に入るべき道がなかった。パスウェイ(pathway:キャリアの進路・道筋のこと)を作らない限り、パスウェイは見えない。」
「学びたい」という気持ちはある。でも、それを職業人生のなかで続けていくための構造が、整っていない。そういう現実が、ここには描かれています。
「臨床か、研究か」という二択
この研究でもうひとつ印象的だったのは、多くの参加者が「臨床か研究か、どちらかを選ばなければならなかった」と述べていた点です。
「臨床医になるか、大学に行くかのどちらかです。」
「研究と臨床のキャリアから選ぶことを余儀なくされた場合、スキルセット全体を使えません。」
臨床の経験を積みながら研究にも関わるという「両立」が、制度的にも給与的にも支えられていない。その結果、多くの臨床家は研究から距離を置くことになる——あるいは置かざるを得なくなる、ということです。
プロフェッショナリズムと、「学び続けること」
医療専門職のプロフェッショナリズムには、継続的な学習が含まれるとされています。最新の知見を臨床に活かすことは、専門家としての責任のひとつです。
しかしこの研究が示すのは、「学び続けること」が純粋に個人の意志や姿勢の問題として語られてしまうとき、何か重要な背景や文脈が見落とされているかもしれない、ということです。
研究に関わろうとすれば給与が下がる。昇進に研究歴が反映されない。時間も、組織の後ろ盾も、ない。そのような環境のなかで「もっと勉強しなければ」と言うことは、個人への期待と、それを支える構造との間にある矛盾を素通りすることにならないでしょうか。
専門家であり続けることは、個人の努力だけで成立するものではなく、それを可能にする文脈——組織、制度、インセンティブ——によっても大きく左右される。この研究は、そのことをコメディカルの当事者の声で示した点において、重要な意味を持つと感じています。
おわりに
この研究はオーストラリアのものです。日本のリハビリテーション領域の状況を直接語るものではありません。
ただ、「研究に関わることが評価されにくい」「臨床か研究かを選ばなければならない」という感覚は、日本のセラピストにとっても、どこか身に覚えがあるものかもしれません。日本とは違う国での問題点に触れることで、今の日本のセラピストを相対化することができ冷静な分析ができるのではないかと考えました。
この記事では、あえて個人的な意見や結論を記しません。オーストラリアという少し遠い場所からの研究を手がかりに、ご自身の臨床や職場の文脈と照らし合わせながら、読んでいただけたらと思います。
→ プロフェッショナリズムとしてのEBM、その現実
→ 医療専門家のあるべき姿とは?
【参考文献】
- Brandenburg, C., & Ward, E. C.(2022). “There hasn’t been a career structure to step into”: a qualitative study on perceptions of allied health clinician researcher careers. Health Research Policy and Systems, 20(1), 4.



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