「痛くないんだから、自分で加減するのはダメなんですか」
骨折後の松葉杖歩行を練習しながら、患者さんがそう言った。なんで体重をかけてはいけないのか。なぜそんな疑問が生じるのか、痛みがないから、だ。
私は少し戸惑いました。「骨がまだくっついていないので……リスクを考えるとダメです」と伝えましたが、どこか患者さんは納得できていない雰囲気でした。
患者さんの論理は、正しい
「痛みがなければ大丈夫」という判断は、人間として自然な感覚だと思います。
私たちは日常生活の中で、身体の感覚を頼りに行動を調整しています。重いものを持てばつらくなる。歩きすぎれば疲れる。そのフィードバックをもとに、無意識に加減しながら生活しています。痛みはそのシグナルの中でも強いもので、「やめろ」「気をつけろ」という身体からのメッセージです。
だからこそ、そのシグナルがないとき、「なぜ制限しなければならないのか」という疑問が生まれるのは、むしろ当然のことだと思います。患者さんの論理は、正しいように感じます。
リスクは、なかなか感じない。起きてから感じる。
一方で、骨折等の荷重により生じるリスクは必ずしも痛みに先行しません。
骨折した部位や手術で治療した部位は、X線や経過日数から「まだ荷重に耐えられる段階ではない」と判断されますが、その情報は身体の感覚として届いてきません。骨に何らかの問題が生じるのは、荷重をかけたあとです。つまり、「痛くなかったのに骨がずれてしまった」という事態が起きてから、はじめて「あのとき守っておけばよかった」とわかる。
リスクは、感じるものではなく、起きてから気づくものなのです。
これが、免荷指示の伝え方を難しくしている根本だと、私は考えています。
illness と disease、というすれ違い
医療人類学者のアーサー・クラインマンは、「病い」を二つの層に分けて考えることを提唱しています。
ひとつは illness(イルネス)——患者さんが体験する病い、つまり「しんどい」「痛い」「つらい」という主観的な経験のことです。もうひとつは disease(ディジーズ)——医療者が診断する疾患、つまりX線や検査値、病理学的な変化として捉えられる客観的な状態です(この概念については「病い」と「疾患」でも詳しく書いています)。
通常、illness と disease はある程度重なっています。骨折すれば痛い。炎症があれば熱感がある。だから患者さんも「何かがおかしい」と実感し、医療者の言葉を受け取りやすい。
ところが、骨折後の免荷が必要な段階では、illness が乏しいことがあります。手術後の痛みが落ち着いてしまえば、患者さんには「もう治った」という感覚が生まれます。disease(骨癒合が未完成である)は存在しているのに、illness(体験される不調)がない。
「痛くないんだから、自分で加減すればいいんじゃないですか」という言葉は、この構造から生まれています。患者さんは illness がないから、disease の実感を持ちようがない。これは理解力や意欲の問題ではなく、そもそも体験として届いていないのです。
伝えることの難しさと、私なりの模索
このことに気づいてから、「なぜ守らないといけないのか」を説明するよりも、まず「痛みがないのに制限されるのは、ふつうに考えておかしいですよね」ということもあります。
その上で、今回生じるリスクの特徴を説明します。
医療者と患者さんのすれ違いは、どちらかが間違っているから起きるのではないことが多い、と思います。それぞれが、それぞれの「正しさ」の根拠を持っている。そのことを理解していると、「なぜわかってくれないんだろう」という端的な考えだけではなくなると思います。
おわりに
無症状の患者さんへの関わりは、お互いのもやもやを徐々に解消する必要があると感じています。
痛みという手がかりがないなかで、「どのようなリスクを考えるべきか」を患者さんと共有することは、決して簡単ではありません。でも、「患者さんのリスクを守ることができない先にある感覚には根拠がある」ということを前提に置くと、説明の入り口が変わってくるように思います
参考文献
Kleinman, A. (1988). The Illness Narratives: Suffering, Healing, and the Human Condition. Basic Books.
→ 関連記事:「病い」と「疾患」 / 生活習慣は、そんなに簡単には変えられない



コメント