私たちは普段、無意識のうちに自分だけの「虫メガネ」を通して世界を見ています。生まれ育った環境、積み重ねてきた経験、出会ってきた人たち——そうしたものがレンズに色を与え、同じ場面を見ていても、人によって受け取り方がまったく異なる。それは当然のことであり、ある意味では豊かさでもあります。
一方で、この虫メガネは医療者にとっては、やや特殊に変化していきます。私の虫メガネは、いつの間にか「医療色」に染まっていないだろうか、と。
医療者の虫メガネ——「医師アタマ」とは何か
総合診療科医師の尾藤誠司先生は、著書『医師アタマ ―医師と患者はなぜすれ違うのか?』(2007年)の中で、医療者が身につけていく固有の思考パターンを「医師アタマ」と呼んでいます。
これは医療の訓練を通じて形成されるもので、診断・治療・リスク管理といった医学的な文脈で物事を捉えようとする思考の枠組みです。
この「医師アタマ」は、医療の現場では非常に機能的です。でも同時に、こんな落とし穴も生み出してしまいます。——自分たちの当たり前が、患者さんにとっての当たり前でもあると、無意識のうちに思い込んでしまうこと。
「安静にしてください」と言えば伝わるはず。「この数値は改善しています」と言えば喜んでくれるはず。医療者の文脈で正しいことが、患者さんの文脈でも同じように意味を持つと思い込んでしまう——これが「医師アタマ」の虫メガネがもたらす、すれ違いの構造だと思います。
患者さんのLIFEに、医療は面しているだけ
生活者としての患者さんには、医療とは関係のない膨大なLIFEがあります。仕事のこと、家族のこと、趣味のこと、経済的な不安、近所とのつながり——その方の24時間のうち、私たちと関わる時間はほんのわずかです。
医療は、その方のLIFEの「一部に面している」に過ぎません。
ところが医療者は、つい医療を中心に据えて患者さんを見てしまいます。「リハビリが優先事項のはず」「安全のために生活を変えてほしい」——そう思うとき、私は医療者の虫メガネをかけたまま、患者さんのLIFEの全体を見失っていないでしょうか。
「説明モデル」——言葉の背景を聴くとは
医療人類学者のアーサー・クラインマンは、「説明モデル(Explanatory Model)」という概念を提唱しています。要するに、患者さんと医療者はそれぞれ異なる文脈から病いを解釈しており、その解釈の枠組みがすれ違いを生むという考え方です。
患者さんが「もう歩けなくてもいいです」と言うとき、その言葉の背後には何があるのか。医療者の耳には「意欲の低下」として届くかもしれません。でもその方の説明モデルには、「歩けないくらいの状態であっても、家族に迷惑をかけたくない」という生活者としての文脈があるかもしれない。
言葉の「背景を知る」とは、その方がどんな虫メガネで今の状況を見ているかを、丁寧に聴こうとすることなのではないかと感じています。
おわりに
虫メガネを完全に外すことは、おそらくほぼ不可能です。医療者としての視点は、患者さんを支えるために必要なものでもあるからです。
でも、自分の虫メガネを自覚することはできる。「私は今、医療者の文脈でこの言葉や物語(ナラティブ)を聴いているかもしれない」と気づくだけで、患者さんの言葉の背景への関心が少し変わる気がします。
患者さんの言葉は、医療者の文脈で完結しているわけではない——そのことを忘れずにいたいと思っています。
→ 説明モデル(Explanatory Model)
→ 医療の現場は実は異文化コミュニケーションである
→ “病い”と”疾患”
参考文献
- 尾藤誠司(編)(2007).『医師アタマ ―医師と患者はなぜすれ違うのか?』. 医学書院.
- Kleinman, A.(1988). The Illness Narratives: Suffering, Healing, and the Human Condition. Basic Books.(邦訳:江口重幸・五木田紳・上野豪志(訳)(1996).『病いの語り——慢性の病いをめぐる臨床人類学』. 誠信書房.)



コメント