「あなたならどうしますか?」と聞かれたときー医療の現場

内省・関わり

病院にいるときの私たちは医療者であり、
時折、選択する必要がある判断も、
医療的に正しいと思われる方向への決定を下していくことになります。

患者さんから

「〇〇さんなら、どうしますか?」

そう聞かれたとき、あなたは何と答えていますか?
医療者として?生活者として?どちらの文脈で返答していますか?

医療者の語りのほとんどは、
それらや彼らという「三人称(話し手と聞き手以外のすべての人や物事)」になっています。

「〇〇さんなら、どうしますか?」

は患者さんがあなたに、
私という「一人称(話し手自身)」での返答を期待しています。

患者の自己決定権を尊重する現代

医療においては、「患者の決定権(自己決定権)」があり、
病状や治療法について十分な情報提供「インフォームド・コンセント」を受け、
理解・納得した上で、自身の意思で医療行為を選択または拒否する権利があります。

以前は、「医者と患者の権力関係」が「パターナリズム(親権主義)」が一般的であり、
医師が患者の意思や同意よりも「患者の利益(治療)」を最優先し、
専門的な判断に基づいて一方的に治療方針を決定・介入していました。

現代は、「パターナリズム」が患者の権利を侵害するもので、患者に不利益を与える態度ではないかと批判を浴びるようになり、「インフォームド・コンセント」へと判断軸は変換していきました。

正解のない選択肢

自己決定の権利が尊重されるようになり、
患者さん自身が治療方針に関して選択していく必要性が増えてきました。

何らかの異常が見つかり、病気になると、
全てが医療者の決定の中で進んでいくわけではありません。

・治療方針
・保存療法か手術
・入院か外来
・生活の再編成における選択肢

医療者は、主に医学的な文脈から、
患者は、身体と生活の両方の文脈から医療の選択を考えてい
きます

そして、
そこには最善はあるかもしれませんが、正解と言われる選択肢はない場合が多いように感じます。

「あなたなら、どうしますか?」

日常生活においても、重大な決断をするとき、
「もし、あなただったらどうする?」
そんなことを職場の方や友人に相談することがあるのではないでしょうか。

一般的な決定ではなく、あなた個人としての意見が聞きたい。

プライベートであれば、相談相手の方も、
自分の思いを率直に伝えることができるかもしれません。

一方で、一人称での返答は、物語を含みメッセージ性が強くなり、
三人称の返答よりも、相手の決定を左右してしまう可能性があります。
答えるのが難しく感じると思います。

それを踏まえると、
医療現場においての一人称での返答は、さらに難しいのではないでしょうか?
あなた自身(一個人)の答えが聞きたいとしても、
お互いにとって、医療者としてのあなたをなくすことはできません。

そして、返答には医療職としての責任が重くのしかかります。

一人称で答えられなくても、一人称で考えてみる

どうしても医療現場では、一人称での返答は難しい場合があると思います。

私自身、質問されて一人称で答える時は、
医療的に限りなく最善に近いと思う際、

例えば、肺疾患を患われた患者さんに対して、

「私なら、タバコをやめますよ」

というように伝えています。
それが、リスクに大きく関わる内容、生活の文脈となると簡単には一人称では答えられません。

一方で、
一人称で答えることができなくても、
患者さんの文脈をできる限り理解しようとし、
一人称で考えることはするべきではないかなと考えております。

そうすることで、時に選択に対する気持ちが一致する場合と一致しない場合があります。
そこで感じる自分と相手とのズレがまた重要なのだと思います。
※医療者と生活者の視点のズレについては、ぜひこちらをご覧ください。
▶️『病名の向こう側』

1人称で考えることで起きた気づき

一般的には。
ガイドラインでは。
予後は。
リスクは。

普段、三人称で答えることが多い医療者は、
患者さんから
「〇〇さんなら、どうしますか?」
と聞かれたとき、どう答えるべきなのか迷ってしまいます。

これは、医療者としては自然であり、必要な文脈です。
けれど、そのまま医療的に返すと、
患者さんの思いが置き去りになることがあるかもしれません。
患者さんが知りたいのは、
この状況だと、みんなはどう迷うのかということだったりします。

医療の現場にいる以上、
病気や合併症、リスクを知っている側で、失敗の責任も背負う立場にいます。
だから医療者の選択肢は、病状悪化やリスクの方向に寄りやすい。

でも患者さんの選択肢の背景は、必ずしもそこには向いていません。

  • 退院後の生活が回らなくなること
  • 役割を失うこと
  • 家族に迷惑をかけること
  • これ以上「病人」になっていく感じ
  • 誰かに決められてしまう感じ

一人称で考えることができて初めて見えてくるものがあると思います。

患者さんの質問に対する最善の答えは私自身もわかりませんが、
一人称での視点は臨床のナラティブをより鮮明にしてくれるものなのかもしれません。

まとめ

患者さんから「〇〇さんなら、どうしますか?」と聞かれたとき、
「あなた」という一人の人としての位置から返ってくる意見を求める呼びかけでもあります。

医療者の語りは、ともすればガイドラインや一般論、つまり三人称の言葉に寄りやすい。

医療者としての責務を考えれば、
何も考えずに一人称での返答は難しいと思います。

一方で、一人称で答えることはできなくても、一人称で考えてみることはできます。

そのときに生じる、
患者さんと医療者としての自分のズレを認識したとき、
自分と他者のあたりまえについて考えることができると思います。

「あなたなら、どうしますか?」
私ならどうするか、自分に問いかけながら臨床に取り組むことが大切なのではと、
思っております。

※本稿は筆者の立場と経験からの考察であり、一般化を意図するものではありません。

コメント