医療の現場は、答えの出ないもやもやを感じる問題であふれています。
治療が思うように進まないとき。患者さんの気持ちがつかめないとき。どう関わればいいのかわからなくなってしまったとき。私たちはしばしば、もやもやを抱えたまま、患者さんと関わっていくことになります。
そんなとき、つい「早く答えを出さなければ」と焦ってしまいます。でも、答えを急がずにもやもやを抱え続けることにも、実は力が要るのだと感じています。その力に、名前がありました。
ネガティブ・ケイパビリティという言葉
ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)とは、「答えの出ない事態に耐える力」のことです。
もともとは、詩人(医師)のジョン・キーツが見出した言葉でした。その後、精神科医のウィルフレッド・ビオンが精神分析の分野で「治療に不可欠な能力だ」と主張したことで、医療の世界にも広まっていきました(安酸, 2024)。
安酸史子氏は、この概念を次のように説明しています。生半可な意味づけや知識で未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえる能力。性急に証明や理由を求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力である、と(安酸, 2024)。要するに、「わからないまま、その状況にとどまり続ける力」です。
これは、医療者が基礎教育で身につける能力とは対照的です。私たちは、問題が生じれば的確かつ迅速に対処する力——安酸氏の言うポジティブ・ケイパビリティ——を知らず知らずのうちに訓練されてきました。それは急性期の場面では欠かせない力です。でも、慢性の病いや、終末期の関わりのように、すぐには答えの出ない場面では、宙ぶらりんに耐える力のほうが、状況をわずかにでも好転させることがあるのです(安酸, 2024)。
ナラティブに耳を傾けることと通じている
私自身、このネガティブ・ケイパビリティは、患者さんの語り(ナラティブ)に耳を傾ける姿勢と、深く通じていると感じています。
もやもやにすぐ答えを出そうとすれば、私たちは患者さんの話を最後まで聴く前に、「こういうことだろう」と結論づけてしまいます。でも、答えを急がずにいられれば、患者さんの語りに、そして周囲の人の語りにも、じっと耳を傾けることができます。
安酸氏は、患者さんや学生を支えるには「まず相手を知ること、そのためには話を聴くことが必須であり、この『聴く』という行為には忍耐が必要である」と述べています(安酸, 2024)。忙しい臨床では、いつのまにか聴く力が失われていく。その忍耐を支えているのが、ネガティブ・ケイパビリティなのだと思います。
語りを聴くとは、答えを保留しながら、相手の言葉が立ち上がってくるのを待つこと。それはまさに、宙ぶらりんに耐える営みそのものです。
→ 医療者がもやもやを感じたとき──苦悩を持つことがナラティブの重要性に気づかせてくれる入口
自分の主観を、いったんわきに置く
ここが、私がいちばん考えさせられるところです。
答えを急ぐとき、私たちは何をしているのでしょうか。おそらく、自分のこれまでの経験や知識、つまり自分の偏った見方を、目の前の患者さんに当てはめているのだと思います。「この人はきっとこうだ」という枠に、相手を押し込めてしまう。
ネガティブ・ケイパビリティの源流には、興味深い考えがあります。キーツは、この力を「個別性を打ち消す能力」と捉えていました。自分という存在をいったん脇に置き、対象に同一化することで、その真実を把握できる、と(安酸, 2024)。
これは、自分の主観をできる限り排除して関わる、ということだと思っています。もやもやに耐えて宙ぶらりんにとどまるのは、単に我慢することではありません。自分の見方が偏っているかもしれないと自覚し、その偏りを一度わきに置いて、相手の現実を受け取ろうとすることです。
枝廣淳子氏は、臨床心理学者の河合隼雄氏がこれを「葛藤保持力」と呼んだことを紹介し、「悩みや迷いがあるのが問題なのではなく、問題があるのにちゃんと悩んだり迷ったりしないことが問題なのだ」と述べています(安酸, 2024)。自分の偏りに気づかず、すぐに「わかったつもり」になることこそ、避けたいことなのだと思います。
おわりに
答えを急がないことは、ネガティブなことではなく、ひとつの必要な能力なのです。
もやもやを抱えたまま、自分の偏った見方を手放して、患者さんの語りに耳を傾け続ける。すぐに結論を出さず、宙ぶらりんの状態にとどまる。それは決して簡単なことではありませんが、その人の本当の語りを知るためには必要な時間だと思います。
テキパキと処理すべき時と、じっととどまり続けるべき時。その二つを使い分けて対処していく——安酸氏が紹介する「ネガティブ・ケイパビリティの祈り」(枝廣, 2023)の言葉が、すごく印象に残りました。
参考文献:
安酸史子(2024).「保健医療の臨床及び教育の場で求められるネガティブ・ケイパビリティ」.『日本保健医療行動科学会雑誌』39(1), 1-4.



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