「待っているに違いない。いつも散歩してあげてたから」
そう言いながら、私と患者さんはベッドサイドの写真に目をやった。茶色で可愛い小型犬が写っている写真だ。
入院中のリハビリの時間、その患者さんはよくペットの話をしてくれた。どんなところが可愛いか、毎日のルーチンの過ごし方。話しているときの表情は、リハビリ中のどの瞬間よりも穏やかで、生き生きとしていた。「早く会いたい」「帰ったら真っ先に散歩に連れて行かないと」という言葉が、リハビリへの原動力になっていることは、傍で見ていて間違いなかった。
「待っているに違いない」という想像力
「会いたい」ではなく、「待っているに違いない」。
患者さんの語りの多くはペットを心配する内容でした。あの子は今どうしているか、自分がいなくて不安じゃないか、散歩に行けなくて困っているんじゃないか。
その思いが、リハビリを続ける力になっていました。「自分が頑張りたい」ではなく、「あの子のために帰らなければ」という方向から、動機が生まれている。これは、ただペットが好きだという話とは、少し違う何かを含んでいるように感じました。
入院という「断絶」
社会学者のマイケル・ベリーは、病いの経験を「伝記的断絶(biographical disruption)」という言葉で表現しています。要するに、病気や入院は、それまで続いてきた人生の流れをぷつりと断ち切る体験だ、ということです。
昨日まで当たり前だったことが、突然できなくなる。毎朝の散歩、食事の準備、仕事への道のり——そういった日常のひとつひとつが止まり、「入院患者」という新しい役割の中に置かれます。その断絶は、身体的なものだけでなく、「自分がどんな人間か」という感覚にまで及ぶことがあります(この概念については時間から考える”病い”でも触れています)。
「いつも散歩してあげてたから」という言葉は、その断絶をそのまま映していると思います。毎日続けてきた行為が、入院によって途切れてしまった。それはルーティンの喪失であると同時に、「散歩してあげる人間としての自分」の一時的な消失でもあります。
ペットがつなぐもの
ベッドサイドの写真は、ただの癒しではないかもしれません。
会えなくても、写真がある。写真を見ながら話ができる。ペットとのエピソードを語ることで、「入院前の自分」「日常を生きていた自分」がそこに呼び起こされます。ペットは、断絶した伝記のこちら側とあちら側を、つなぐ存在になっているのではないでしょうか。
さらに、「飼い主である」という役割は、入院中も失われません。身体が病棟に縛られていても、「あの子の世話をする責任がある人間」であることは変わらない。その役割が残っているからこそ、「帰らなければならない理由」が生まれます。
医療者からすれば、リハビリの動機は「歩けるようになること」や「自宅復帰」として設定されがちです。でも患者さんにとっての動機は、もっと具体的で、もっと個人的なものであることが多い。「あの子が待っているから」というのは、そういった意味で、とても正直な言葉だと思います。
おわりに
患者さんがペットの話をするとき、それは雑談ではないかもしれません。
その話の中には、入院前にその人がどんな日常を生きていたか、何を大切にしていたか、どこへ帰ろうとしているかが、丁寧に折り畳まれています。脱線する語りが教えてくれることでも書いたように、医療的な文脈から少し外れた語りの中にこそ、その人の「生活」が見えてくることがあります。
参考文献
Bury, M. (1982). Chronic illness as biographical disruption. Sociology of Health & Illness, 4(2), 167–182.
→ 関連記事:時間から考える”病い” / 脱線する語りが教えてくれること / 「病い」と「疾患」



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