ナラティブ・語り

ナラティブ・語り

家族のナラティブを知ること

患者さん本人だけではなく、医療の現場では、家族の情報に触れることは非常に重要です。病状や検査結果とは別に、どのような仕事をしてきたのか、家庭の関係性はどうなのか、そうした話題は、一見すると病気の次の情報として扱われがちです。しかし、人類学者...
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変化する語り(ナラティブ)をどう捉えるか?

医療者は病いの語り(ナラティブ)の読者であるという立場は、臨床での患者さんを知ることにつながります。一方で、病いの語りは頻繁に変化し、強固な思いではないのではと感じることがあります。何を、どのように語るのか。それは、場所や時間、関係性により...
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新人理学療法士たちと話した日──世代を超えた対話が見せてくれた、臨床の変化

職場外の病院の新人理学療法士たちと話す機会があリました。率直に、時代は変わるものだと、あらためて感じました。私が新人だった頃に多く出会っていた疾患とは様相が異なり、臨床推論のプロセスも変化している。血液データなどの生化学的指標を読み解きなが...
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ナラティブを聞く前に必要だったこと

学生時代の臨床見学実習の時のことです。ある男性患者さんの平行棒内歩行練習を見学していました。当時の私は医学知識もほとんどなく、患者さんに対して「痩せていて筋力が落ちてしまっているんだな」という印象を持っていました。車椅子に座って休憩している...
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ナラティブで大切なこと

ここまで、医療やナラティブ、文化・医療人類学について、いくつもの文章を書いてきました。振り返ると、扱っているテーマは多様に見える一方で、何度も同じ場所をぐるぐると歩いているような感覚もあります。今日は、それらを整理するというよりも、このブロ...
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出会いによって形成される新たな思考

本稿は、ナラティブ研究会での検討資料となったエッセイです。記載内容は個人情報保護の観点から、背景・状況・属性等を一部改変しています。幼少期からあった“自分のものさし”私は幼少期からあまり手のかからない子どもだったらしい。両親が言うには、自分...
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医療の正しさと、人生と

本稿では、「医学的に正しいとされる治療」と「その人の人生」とが乖離したとき、そのあいだに、どのようなズレが生じていたのかを考えます。臨床の現場では、「正しいはずなのに、納得してもらえない」そんな経験があると思います。ここで最も重要なことは、...
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エッセイとナラティブ

本ブログでは、セラピストのエッセイの記事を読むことができます。今回はエッセイとナラティブについて考えます。エッセイ(essay)とは、筆者自身の体験・感情・考えをもとに表現される作品のことです。「エッセー」と呼ばれることもあり、日常の出来事...
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“あたり前”を失うこと——その人らしく生きること

本稿は、ナラティブ研究会での検討資料となったエッセイです。記載内容は個人情報保護の観点から、背景・状況・属性等を一部改変しています。理学療法士になるまでの話筆者が理学療法士を目指し専門学校へ入学して2年目の冬、母方の祖母が入院した。入院した...
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伝える準備──難しいことを患者・家族に話す前に、医療者が整えておくべきもの

本稿は、ナラティブ研究会での検討資料となったエッセイです。記載内容は個人情報保護の観点から、背景・状況・属性等を一部改変し、複数事例を再構成しています。理学療法士として急性期病院に勤務して数年が経った。理学療法士は医療職の中でも患者さんと接...