医療者の「無意識的翻訳」——患者さんの言葉は、どのように聞かれているか

医療者の「無意識的翻訳」——患者さんの言葉は、どのように聞かれているか ナラティブ・語り

患者さんの話を聞きながら、医療者の頭の中では何が起きているでしょうか。

「歩けるようにはなりたいんですけど……怖くて足をつくことができません」

患者さんがそう話すとき、極端に分析するとセラピストの頭の中では、医学の言語に置き換わっていきます。転倒不安、歩行恐怖、バランス機能の低下——。患者さんがまだ話し続けているうちから、語られた言葉は機能的なカテゴリーへと変換されていきます。

これは、医療者として訓練を受けた証でもあります。でも同時に、この「翻訳」が、患者さんの語りとの間にある種のズレを生み出していることもあるのではないか、と感じています。


医学的なまなざしという訓練

医療者は、重点的な医学教育を受けて「医学的に見る・聞く」ことを訓練されます。患者さんの訴えを症状として整理し、機能評価へとつなげ、治療の方針を立てていく——このプロセスは、リハビリテーション専門職の専門性の核心です。

その訓練の結果として形成されるのが、患者さんの言葉を自然と臨床的概念へ「翻訳」する習慣です。「足に力が入らない」と言えばMMT(徒手筋力検査)を実施し筋力低下の原因を探る、「疲れやすい」と言えば廃用症候群や持久力の問題へ。この翻訳はほとんど無意識に、リアルタイムで行われます。

翻訳を無意識に行なっている結果、「翻訳される前の言葉」——患者さんが本当に伝えようとしていたこと——が、聞かれないまま過ぎていくことがあります。


翻訳が生むズレ

「歩けるようにはなりたいけど、怖い」という言葉を、セラピストは「転倒不安・歩行恐怖」として受け取ります。でも患者さんが本当に伝えたかったのは、「悪化を招いてしまって、また家族に迷惑をかけてしまうのではないか」だったかもしれないし、「また入院するかもしれないという不安」だったかもしれません。

臨床的翻訳は、評価や介入に必要な情報を非常に効率的に拾い上げる一方で、それに直結しない言葉を「ノイズ」として処理してしまうリスクをはらんでいます。患者さんにとっては切実な語りが、セラピストには届かないまま終わることがあるのです。


ナラティブ・ベイスト・メディスンが伝えること

『ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践』(斎藤清二・岸本寛史、2003)は、こうした医療者の「聞き方」を根本から問い直す視点を提示しています。

ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM:Narrative-Based Medicine、物語に基づく医療)とは、患者さんの語りをひとつの「物語」として受け取ることを大切にする実践です。症状への翻訳を急ぐのではなく、まず患者さんが何を、どのように語っているかを丁寧に聞くこと——それがNBMの出発点です。

斎藤・岸本は、医療者が「翻訳しながら聞く」状態に無自覚でいることの危うさを指摘しています。翻訳は臨床的には必要ですが、それが患者さんの語りを「素材」に変えてしまうとき、セラピストと患者さんの間には見えないズレが生まれます。


おわりに

翻訳をやめることはでき無いと思います。それは医療職、セラピストとしての専門性そのものでもあるからです。

でも、翻訳していることに「気づく」ことは、できるのではないでしょうか。

「いま自分は、この言葉を機能的な問題として変換しようとしている」——そう気づいた瞬間に、少し翻訳を一時停止して、患者さんの言葉をもう一度、翻訳する前の状態で聞き直すことができるかもしれません。

訓練によって身につけた「聞き方」を自覚的に使うこと。それが、患者さんの語りに本当に耳を傾けるための、一つの手がかりになるのではないかと感じています。


参考文献

  1. 斎藤清二・岸本寛史(2003).『ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践』. 金剛出版.

コメント