回復は、揺れながら進む——「術後振動反応」と、揺れが止まるとき

回復は、揺れながら進む——「術後振動反応」と、揺れが止まるとき 読書メモ

リハビリテーションの現場では、症状の固定と向き合うことが多くあります。麻痺の回復が頭打ちになり、数値で測れる変化が出なくなる。それでも関わりは続いていきます。

そういうとき、自分がどんな姿勢で取り組めばいいのか、分からなくなることがあります。期待に応えるような成果を出せているのだろうか、と不安になる。同じことを感じているセラピストは、少なくないのではないでしょうか。

松本卓也さんの『斜め論』という本の第二章を読んでいて、この感覚につながる記述に出会いました。精神科医の中井久夫について論じた章です。

回復は、一回きりの反応ではない

まず出てくるのが、フランスの外科医アンリ・ラボリ(1914-1995)の「術後振動反応」という考え方です。

手術のような重大な侵襲を受けたあと、生体に起こる反応は一回きりのものではない。副交感神経が優位になったり、交感神経が優位になったりと、そのあいだを揺れ動く。ラボリはそのことを明らかにしました。

中井久夫は、この指摘をこう評価しています。

ふつうは一回きりの反応として捉えるところを振動反応であると指摘したのが、手術室で患者の全身状態を時々刻々観察する麻酔医ラボリの本領である

手術室で患者さんの全身状態を時々刻々と見続けている麻酔科医だからこそ、一回きりに見えるものが実は揺れていると気づけた、という読み方です。

中井久夫が、そこに見たもの

中井自身も、同じ見方をしていたと松本さんは書いています。

統合失調症は、発病があって、そこから不可逆的に進んでいく過程として捉えられがちです。けれど中井は、病棟での生活や描画療法のなかに垓間見える変化を振動として捉え、時々刻々と観察しました。それが中井の寛解過程論の核心なのだ、と。

要するに、回復とは一直線に進むものではなく、揺れながら進むものだという見方です。

これは、リハビリテーションの臨床にもそのまま重なると思いました。一進一退という言葉を私たちはよく使いますが、それを「停滞」と読むか、「回復とはそもそもそういう形をしている」と読むかで、目の前の患者さんの見え方は変わってきます。

揺れが止まるとき——「症状レベルの合意」

同じ章に、もうひとつ気になる記述がありました。長期入院の患者さんについてのものです。

患者さんもその家族も、くり返しの挫折によって希望に対して心を閉ざしている。長期の入院は患者さんの世界を狭くしてしまい、面接者は面接ごとの話題に早晚苦しむようになる。結局、面接も反復強迫に陥る。

そして受持医と患者さんは、語りつくされた症状を媒介として、ある安定した状態に達してしまう。中井はそれを「症状レベルの合意」と呼びました。

この合意は、慢性患者状態を維持し強化する方向に働きます。それでも崩れにくい。なぜなら、患者さんが症状を語り、医者がそれを聞いて記録するという形は、患者という同一性も、医者という同一性も、揺るがさずに済むからです。

そこから一歩を踏み出すことは、「ゆきつくところも経路もわからない、安全を保障されない旅路」に踏み出すことのように感じられる。だから、

患者も慢性の屈辱感をもちつづけ医者もまともな自尊心を維持しにくい状態であるにもかかわらず、なかなか抜き難い強固さを持っている

揺れ動くはずのものが、揺れない形に固定されてしまう。前半の振動反応と並べて読むと、そういうことなのだと思います。

リハビリでは、少し形が違うのかもしれない

これをリハビリテーションに当てはめて考えてみました。

担当制のなかで、揺れないやりとりに落ち着いていくことは確かにあります。「今日も同じメニューですね」「調子はどうですか」「まあまあです」。ただ、私が感じているのは、中井が描いたものとは少し違う形です。

中井が描いているのは、双方が同じ場所に降り立ってしまった「合意」です。でもリハビリの現場で私が感じているのは、むしろ患者さんとセラピストが同じ意識でリハビリを進められているとは言い難い、というほうに近いのです。

症状が固定していることには、その人それぞれにとっての意味があるのだと思います。けれどその意味が共有されないまま、訓練の形だけが続いていく。表面上はやりとりが成立しているのに、見ているものがずれている。

そしてセラピストの側には、「これでいいのだろうか」という不安が残ります。私は、この不安は悪いものではないと思っています。揺れがまだ共有されていないことの、しるしだからです。

合意が完成してしまえば、不安は消えます。消えないということは、まだ止まりきっていないということなのかもしれません。

時々刻々と観察する。ラボリと中井がしていたのはそれだけのことですが、固定した症状を前にしたとき、私たちにできることもまた、そこから始まるのだろうと感じています。

→ 患者さんとセラピストの揺らぎ——ナラティブから考える
→ 新人でも、ベテランでも——セラピストが抱える不安について
→ ネガティブ・ケイパビリティ——答えを急がず、患者さんの語りに耳を傾ける


参考文献:松本卓也(2025).『斜め論——空間の病理学』. 筑摩書房.(第二章「臨床の臨界期、政治の臨界期——中井久夫」pp.47-84)

※ 中井久夫の言葉は、同書が『中井久夫著作集』から引用したものを、さらに引用しています。

※ 本記事の内容は、臨床経験にもとづく私個人の考えを含みます。

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