内省・関わり

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理学療法士として、いま大切にしていること——30代後半からの覚え書き

時々、自分が理学療法士に向いているのか考えることがあります。30代後半の理学療法士が、仕事への愛着・臨床推論・多職種連携・知的謙虚さ・判断の保留について、個人的に大切にしていることをまとめた覚え書きです。
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医療と研究は、個人の努力で成り立つのか——コメディカルを対象にしたオーストラリアの研究から

リハビリテーション領域のコメディカルが研究に関われない背景には、インセンティブや組織構造という「文脈」がある。オーストラリアの質的研究をもとに、専門家であり続けることを支える条件を考えます。
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言葉を鵜呑みにするな——シニフィアンとシニフィエが教えてくれること

「もう無理かもしれない」患者さんからそう言われたとき、あなたはどんなふうに受け取りますか。「諦めてしまっている」「気持ちが後退している」——そう理解するのは、自然なことかもしれません。私もそう感じることがあります。でも、大学時代に恩師から「...
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「小説を読む同僚は、なぜ温かいのか」──文学と医療の、意外な接点

職場でよく小説を読む同僚は、なぜか患者さんへの関わりが温かい——そんな実感から、文学と医療の接点を探りました。KiddとCastanoの研究、そしてRita Charonのナラティブ・メディシンが、その「温かさ」の正体を教えてくれます。
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専門性の意味を、更新していく

役割の境界が動き、求められることが増えていく時代に、プロフェッショナリズムとは何かを考えました。専門家の核心は「守ること」ではなく「自分たちの判断で実践できること」にある。その軸をどこに置くか——理学療法士としての実践から書きました。
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「本当に家に帰って大丈夫?」──退院場面で医療者が抱える不安について

退院を前に不安を感じているのは、患者さんだけではないかもしれない。「本当に大丈夫だろうか」——急性期のセラピストが感じるこのもやもやを、文化人類学の「リミナリティ」という概念で読み解きます。
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研究と臨床は、遠くない——「知る」と「検証する」という共通の問い

研究をしていると、ときどき考えることはありませんか。「これは、臨床から離れた作業になっていないか」と。データを集め、分析し、論文を読み込む時間が続くと、患者さんのいる場所とどんどん遠ざかっているような感覚に陥ることがあります。私自身、研究と...
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なぜ医療者にプロフェッショナリズムが必要なのか——「信頼するしかない」という関係の重さ

「先生のことを信じるしかないですから」ある患者さんの言葉です。笑顔で、でもどこか諦めのような印象を受けました。その言葉を聞いたとき、私は違和感を感じました。「信じてもらえている」という安心感ではなく、「信じるしかない」という言葉に思ったので...
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「よくなっていますよ」が届かないとき——病いが人生の物語を断ち切るということ

「よくなっていますよ」と伝えたとき、患者さんの表情がほんの少し曇ることがある。数値は改善しているのに、なぜその言葉は届かないのか。医療社会学者Michael Buryの「伝記的断絶(biographical disruption)」という概念を手がかりに、患者さんが感じている「すれ違い」の正体を考えます。
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「この患者さん、なんか苦手かも」と感じたとき、立ち止まれているか

「この患者さん、なんか苦手だな」——そう感じた瞬間、あなたは何を根拠にそう思っていましたか?忙しさ、過去の経験、暗黙の基準……。臨床の判断には、自分でも気づかない先入観が混じっています。いったん立ち止まり、その「なんとなく」の正体を問うことが、患者さんへの見方を少し変えてくれます。