入院するということ、それ自体が不安である——当事者である理学療法士の語りから

入院するということ、それ自体が不安である——当事者である理学療法士の語りから 研究会の記録

先日の研究会では、病いの当事者でもある理学療法士の方に、ご自身の経験をナラティブを軸に語っていただきました。

医療者でありながら、患者として入院を経験した方の語りです。専門職として医療を提供する側にいた人が、患者としてその場に身を置いたとき何を感じたのか。


客観的に語られる、自分自身の気持ちの変化

まず、印象的だったのは、ご自身の気持ちの変化を、とても客観的に分析されていたことです。

当事者の語りというと、感情が直接的に前面に出ることがあります。でもその方の語りは、自分が最初に何を感じ、それがどう変わっていったのかを、少し距離を置いて言葉にしたものでした。医療者としての目と、患者としての体験が、行き来している印象でした。

だからこそ、参加している側も率直に質問や意見を口にすることができました。当事者の語りの場では、聴衆が遠慮してしまい、質問しづらくなることがあります。でもこの日は、疑問をそのまま尋ねられる空気がありました。語り手の姿勢が、そういった場をつくっていたのだと思います。


症状の重さとは関係なく、入院は不安である

内容の中で、あらためて気づかされたことがあります。

患者さんからすると、症状が軽くても重くても、病院に入院するということ自体が不安で孤独なのだということです。

医療者はつい、重症度で不安の大きさを推し量ってしまいます。「この方は軽症だから」「経過も順調だから」。軽症な方は医療スタッフの方の訪室の回数も減るかもしれません。でも、患者さんは間違いなく不安や孤独をどこかで感じています。

生活者から、病者へ。そして患者へ——この移行が、入院という体験の中で起きています。着るものが変わり、呼ばれ方が変わり、一日の過ごし方が誰かに決められる。そこは今までとは違う非日常の空間です。

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20分というリハビリテーションの時間

そして、もうひとつ重要だと思ったことがあります。

リハビリスタッフの20分という時間は、とても価値のあること、ということです。

職種によって、患者さんとの関わり方の構造は違いますが、リハビリスタッフは1単位20分と定められているからには、間違いなく対話が生まれやすい構造です。
もちろん、デメリットもありますが、メリットも大きいいのではという意見も出てきました。


おわりに

理学療法士として何ができるか——技術や知識で何を提供できるかを考えることは、もちろん大切です。

でもそれと同じくらい、患者さんの不安や孤独を少しでも楽にできるような寄り添いが大切なのだと、あらためて感じる時間になりました。当事者の方の語りは、専門職として身につけてきたものと少し薄まってしまったものを、思い出させてくれます。

こういう語りを聴ける場があることの意味を、研究会を終えて考えています。

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